マラトン

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テンプレート:Infobox Greek Dimos マラトーンテンプレート:Lang-grc / Marathṓn)は、ギリシャアッティカ地方のアテネ北東にある。長音を省略し、マラトンとも表記される。マラトンの戦い紀元前490年)の舞台として知られており、このときの故事にちなむ陸上競技マラソンの名の由来となった。

現代ギリシャ語ディモティキ(口語標準語)ではマラトナスΜαραθώνας / Marathonas)、カサレヴサ(共通文語)ではマラトンΜαραθών / Marathon)と表記される。マラトナス市は東アッティカ県に属し、その周辺地域も含む基礎自治体ディモス)である。

地理

位置・広がり

自治体としてのマラトナス市は、東アッティカ県の北東部に位置し、県内で第二の面積を持つ。

マラトナスの集落(人口約4400人)は市域中央部の内陸部にあり、県都パリニから北北東へ約18km、アテネから北東へ約28kmの距離にある。集落の東にはエーゲ海に向かって平野が広がっている。マラトンの戦いはこの平野において、上陸したペルシャ軍を迎え撃つ形で行われた。

マラトナスの集落の西には、アッティカ地方最大の人造湖テンプレート:仮リンクがあり、アテネの水がめとなっている。

隣接する自治体は以下の通り。

北東には海を隔ててエヴィア島が横たわっている。

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主要な都市・集落

人口1000人以上の都市には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。

最大の都市はネア・マクリ。マラトナスから南へ約8.2kmの海岸部に位置する。

歴史

紀元前490年、マラトン付近の海に面した平原において、アテナイプラタイア連合軍とペルシア(アケメネス朝)の間でマラトンの戦いが行われた。アテナイの将ミルティアデスがペルシアの大軍を撃破し、アテナイはペルシアに勝利した。

行政区画

自治体(ディモス)

マラトナス市Δήμος Μαραθώνος)は、東アッティカ県に属する基礎自治体ディモス)の一つである。

現在のマラトナス市は、カリクラティス改革(2011年1月施行)にともない、旧マラトナス市を含め4自治体が合併して発足した。旧自治体は、新自治体を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。

下表の「旧自治体名」欄は、無印がディモス(市)、※印がキノティタ(村)の名を示す。面積の単位はkm²、人口は2001年国勢調査時点。

自治体名 綴り 政庁所在地 面積 人口
16 マラトナス Μαραθώνας マラトナス 97.1 8,883
18 テンプレート:仮リンク Νέα Μάκρη ネア・マクリテンプレート:Enlink 36.7 14,809
26 テンプレート:仮リンク Βαρνάβας ヴァルナヴァス テンプレート:Enlink 37.3 1,722
27 テンプレート:仮リンク Γραμματικό グラマティコテンプレート:Enlink 51.7 1,443

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文化・観光・施設

陸上競技マラソンとマラトン

ファイル:Statue of Pheidippides along the Marathon Road.jpg
フィディッピデスの像。マラトンからアテネに向かう道筋にある。

マラトンの戦いに関する伝説によれば、一人の兵士がマラトンからアテナイまで戦勝の報告を走って持ち帰り、そこで息絶えたという。兵士の名はフィディッピデステンプレート:Enlinkともエウクレスとも伝えられ、伝説が真実かどうかも含めて定かではない。陸上競技のマラソンは、長く語り継がれてきたこの伝説にちなみ、近代オリンピックの開始とともに作られた競技である。

1896年にアテネで開かれた第1回オリンピックにおいて、マラトンからアテネ競技場までの競走が行われた。これが近代マラソンの始まりである。草創期のマラソンでは走行距離の厳密な計測はされず、おおむね40kmが目安とされた。

1982年より、マラトンからアテネの競技場までの42.195kmにコースが設定され、アテネクラシックマラソンが行われるようになった。このコースは、1997年世界選手権や、2004年アテネオリンピックでも使用された。

その他

脚注

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関連項目

外部リンク

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