マツダ・ロードペーサー

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テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ロードペーサーROADPACER )は、かつて発売されたマツダのプレステージカー(高級車)。発売当時はマツダの排気ガス対策装置「AP」を付けられた「ロードペーサーAP」と称されていた。

マツダ初の3ナンバー車及びフラグシップモデルであった。セダンタイプの乗用車としてはマツダ車で一番大きいボディ(全幅ベースにて計算。全長は初代センティアが最大)を持つ。

開発の経緯

1970年代前半、それまで日本メーカーによる富裕層向け最高級乗用車はトヨタ・センチュリー日産・プレジデント三菱・デボネアに限られていたが、日本の経済成長によって最高級車市場の拡大の動きがあり、マツダはいすゞ自動車とともに最高級車市場への参入を図った。

しかしマツダやいすゞ自動車はトヨタや日産、三菱のように高級車を自社独自で開発するような企業体力はなかった。そこでいすゞ自動車は外国メーカーとの提携関係を活かし、日本と同じ右ハンドルであるオーストラリア製の乗用車を輸入し、日本の基準に適合するよう最小限の改造(当時日本で認可されていなかったドアミラーフェンダーミラーにするなど)を施した上で自社系販売店で販売した。

だがマツダは外国メーカーとの提携が全くなかったため(当時フォードとはまだ提携していなかった)、オーストラリアのGMホールデンと部品購入契約を交わすことで最高級車を開発した。こうしてロードペーサーが誕生したのであった。

成り立ち

ボディはホールデンの大型車「プレミアー」がベースで、前輪独立懸架、後輪固定車軸の後輪駆動という、当時の大型車としてはごく一般的な構成である。

このモデルのベース車はホールデンの親会社であるGMのインターミディエート・クラスで、アメリカでは中級サイズにあたるが、日本では大型セダンとして通用するものであった。プレミアーは当時いすゞが上記の施策により輸入したステーツマン・デ・ビル姉妹車でもある。

このボディを高級車仕様の内外装にしつらえたうえ、マツダ独自のパワーユニットとして13B型ロータリーエンジンを搭載し、トランスミッションは日本自動変速機(現ジヤトコ)製3速ATを組み合わせた。当時ロータリーエンジンを自社のイメージリーダーにしていたマツダが、軽量で高出力を得られる自社製パワーユニットという特性を利用して、ロードペーサーにもこれを搭載したものであった。

目標販売台数は月間100台であった。

歴史

  • 1975年4月 - 発売。この車から現在の「mazda」ロゴが使用される。
    • 10月 - 51年排ガス規制適応、一部変更。
  • 1977年8月 - 一部変更(セーフティーパネルの設置、間欠ワイパー、トランクオープナーの追加、コンビネーションスイッチの採用、ボディー色の追加)
  • 1977年 - 生産終了(1979年まで販売は続いたが、1977年に生産終了している)
  • 1979年 - 販売終了。総生産・販売台数799台

累計販売台数

グレード、価格

  • 5人乗り(フロントセパレートシート)、371.0万円。
  • 6人乗り(フロントベンチシート)、368.0万円。

ちなみに、前期型と後期型ではスピードメーターが丸型になり、フロントグリルの格子の形状が変更される。

商業的失敗と生産終了

当時の価格はセンチュリーやプレジデントをも上回る高価格で、日本市場では割高に感じられ、販売不振であった。ロータリーエンジンは、1975年当時の日本で進行中であった厳しい排気ガス浄化規制にも対処が容易であったため、当初は官公庁からの若干の需要もあったが、それも限られたものであった。

高価格のほか、本来、日本向け高級車のデザインではなかったボディを流用したモデルで、スタイリング面で日本の想定ユーザー層の好みに合わなかったことや、従来、大衆車・商用車販売を主としてきたマツダの既存販売網が大型乗用車の需用者への営業力を欠いたことも不振の一因ではあった。

しかし何よりも、自動車としての成り立ちがあまりにもアンバランスであったことがロードペーサーの問題点であった。ベースとなったホールデン車のインターミディエートクラスは、大型アメリカ車同様に大排気量で低回転域から大トルクを出せるエンジンを搭載するクラスであり、最低のベースモデルでも直列6気筒3.3L、それ以上のグレードは4.1L-5.7LのV型8気筒レシプロエンジンが搭載されていた(バッジエンジニアリング車であったいすゞのステーツマン・デ・ビルはV型8気筒5Lエンジンをそのまま搭載し、ボディに見合った性能を確保していた)。

そのようなモデルのボディに、軽量高回転だが低回転域のトルクが弱く燃費も良くないロータリーエンジンを搭載したため、自動変速機のトルクコンバーターでトルク増大を図ってもなお実用上の動力性能が不足し、しかも燃費は非常に悪くなったのである。力のあるV型8気筒エンジンを搭載し十分な動力性能を得ていたセンチュリーやプレジデントに比べ、これは致命的なマイナスであった。

その後、1977年に3代目ルーチェが発売された。先代よりボディサイズが拡大し見た目の高級感が増した(なおかつ日本における5ナンバー規格に収まり、市場適合性のあった)新型ルーチェがマツダにとっての最高級グレードを担う格好となり、ルーチェよりも価格が圧倒的に高く販売も低迷していたロードペーサーの生産は打ち切られた。以降は1979年まで在庫車の新車販売が行われたに留まった。総生産・販売台数は799台。

車名の由来

  • 英語で「道路の王様」という意味。

関連項目

外部リンク

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