ベニー・グッドマン

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ファイル:BennyGoodmanandBandStageDoorCanteen.jpg
ベニー・グッドマン(右から2人目)とペギー・リー(右端)
映画「ステージドア・キャンティーン(Stage Door Canteen、1943年)」より
ファイル:BennyGoodmanStageDoorCanteen.jpg
クラリネットを演奏するベニー・グッドマン。
映画「ステージドア・キャンティーン(Stage Door Canteen、1943年)」より

ベニー・グッドマンBenny Goodman, 本名:ベンジャミン・デイヴィッド・グッドマン(Benjamin David Goodman)、1909年5月30日 - 1986年6月13日)は、クラリネット奏者、バンドリーダー。スウィング・ジャズの代表的存在として知られる。

略歴

縫製職人の家の九男として、シカゴに生まれる[1]。貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭に育ち、教育は「ハル・ハウス」という福祉施設で受けている[1]。無料で音楽が学べる地元の音楽教室にて、10歳の頃からシカゴ音楽大学の元教師・フランツシェップの下でクラリネットを習得[2]。11歳のときにデビューする。

1923年コルネット奏者のビックス・バイダーベックBix Beiderbecke)と共演し、1925年ベン・ポラック楽団(the Ben Pollack Orchestra)に参加。1928年には本拠地をニューヨークへ移し、翌1929年には楽団から離れてソロ活動を始める。

1932年には自ら楽団を結成し、NBCラジオに定期的に出演。1935年ロサンゼルスの有名なダンスホールであるパロマーボールルーム(Palomar Ballroom)での大成功をきっかけに全米にわたる人気を獲得し、1938年にはカーネギー・ホールで最初のジャズ・コンサートを行いスウィングの王様King of Swing)と称されるに至る。

またグッドマンは人種差別が激しかった当時、テディ・ウィルソンライオネル・ハンプトンをはじめとする黒人ミュージシャンを積極的に雇った最初の人物として賞賛されることも多い。

ビッグ・バンドのベニー・グッドマン楽団を率いた他、トリオカルテットセクステットといった小編成でも演奏活動を行った。

さらにはクラシック音楽も手がけ、モーツァルトクラリネット協奏曲(協演はシャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団)、やクラリネット五重奏曲(協演はボストン・シンフォニー四重奏団)のレコードを出している。また、当時の現代作曲家バルトークとも親交があり、『ヴァイオリンとクラリネットとピアノのためのコントラスツ』の献呈を受けており、作曲者及び同時に献呈を受けたヴァイオリニストのシゲティとの共演録音が残されている。同時代の作曲家では他にコープランドクラリネット協奏曲を作曲している。他、バーンスタインと共演。

1955年には前半生を描いた映画ベニイ・グッドマン物語』が公開された。主演は、グッドマンのそっくりさんとして知られたテレビ司会者スティーヴ・アレン。ジーン・クルーパハリー・ジェイムスライオネル・ハンプトン等有名ミュージシャンたちが共演。サウンドトラックはベニー・グッドマン楽団が制作してデッカ・レコードから発売されたが、グッドマンはこの時の演奏に不満を持ち、キャピトル・レコードから全く同じ選曲のアルバム『ベニー・グッドマン物語』を発表。

代表曲に、力強いドラムから始まる『シング・シング・シング』(Sing Sing Sing )が挙げられる。

日本におけるグッドマン

  • 1958年、1964年、1980年に来日公演を行っている。
  • 1980年前後に東芝のオーディオブランド「Aurex」のCMに出演したことがあった。

関連人物

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参考文献

脚注

  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web

外部リンク

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