ベアトリクス (オランダ女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 君主 テンプレート:Dutch Royal Family ベアトリクステンプレート:Lang-nl、ベアトリクス・ウィルヘルミナ・アルムハルト・ファン・オラニエ=ナッサウ、テンプレート:Lang-nl1938年1月31日 - )は、前オランダ女王(在位:1980年4月30日 - 2013年4月30日)。退位後は王女(Prinses Beatrix)[1]

生涯

オランダ王女ユリアナの長女としてバールンで生を受けた。1940年ナチス・ドイツオランダ侵略により祖母ウィルヘルミナ女王、母ユリアナと共にイギリスへ亡命し、その後、遠縁のカナダ総督夫人アリスを頼り、カナダへ渡った。そのため、初等教育をカナダで受けている。

1945年、戦争が終わると王室は本国に帰還、1948年母ユリアナが即位して王位継承者となった。ライデン大学で学ぶ。

1966年3月10日ドイツ人外交官クラウス・フォン・アムスベルクと結婚した。ナチス・ドイツの禍根から、ドイツ人と結婚することに対して、一部の国民からは強い反感を集め、結婚式場となった教会周辺には反対派のデモ隊が押し寄せ、爆弾が投げ込まれるなどの事件も発生している(しかし、後にクラウスは国民の広い人気を集めるようになった)。1967年、王家では百数年ぶりの男子誕生となるオラニエ公ウィレム=アレクサンダー王太子を出産した。次いで、ヨハン・フリーゾ王子コンスタンティン王子が生まれた。1980年、ユリアナ女王の譲位を受け、ベアトリクスは女王に即位した。2002年に夫クラウスと死別、さらに2004年には母ユリアナが崩御し、父ベルンハルトも薨去した。

2013年1月28日、テレビで演説し、「(2013年)4月30日にオランダ王位を退位し、ウィレム=アレクサンダーに王位を譲位する」ことを発表した[2]。同年4月30日に退位し、以後の称号は王女となった。

人物

公務の一環として、毎週首相と政治に関する会談をするため、大変な政策通である。また気丈な性格であり、政策の面で一致が見られなかった閣僚を解任すると警告を発したこともあった。

1995年に旧植民地であったインドネシアを訪問した際に「植民地支配はお互いに恵みを与えた」とスピーチして、インドネシア人を憤慨させた。

先祖がジョージ2世に連なるため、イギリス王位継承順位810位前後(上位に誕生・死亡がある都度頻繁に変わる)に位置する継承権者でもある。

なお、オランダでは「女王の日(または王の日)」という、天皇誕生日と同様に国王の誕生日が祝日として設けられているが、ベアトリクスの女王時代は先代のユリアナの誕生日である4月30日としていた。ベアトリクスの誕生日は実際には1月31日であるが、屋外で行われる祝賀行事に不向きな季節であることと、母である先代への敬意から日付も継承したためである。[3]

日本との関係

1986年日本訪問の計画があったが、在位中の昭和天皇反日感情のあるオランダ人にとって戦争犯罪人と見なされていたために、国内世論の反発で中止した。昭和天皇崩御後、1991年10月、オランダ元首として初めて日本を公式訪問した。天皇が主催した晩餐会のスピーチでは、第二次世界大戦時のオランダ領東インドにおける自国民の犠牲について言及したこともある。

ただし、日本及び日本皇室との関係は基本的には良好である。先述の晩餐会時のスピーチでも戦争に関する部分はごく一部にとどまり、翌年3月に開業を控えていたハウステンボス等の現在の好ましい蘭日関係を強調している(ハウステンボスについては、自らの居所であるハウステンボス宮殿の忠実な再現及び同名の命名を許している)。2006年夏には皇太子徳仁親王同妃雅子ら一家の長期静養を受け入れ、滞在中も種々配慮をしている。

子女

ドイツ人外交官クラウス・フォン・アムスベルクとの間に三男を儲けた。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Commons&cat

ファイル:Juliana as a wife and mother.jpg
両親と幼少期のベアトリクス

テンプレート:Navbox

  1. 転送 Template:S-start


テンプレート:英王位継承box

  1. 転送 Template:Endテンプレート:Link GA
    1. オランダ国王即位式のプログラム(2013年4月23日)、オランダ大使館・オランダ総領事館, Japan、2013年4月30日閲覧。
    2. オランダ女王が退位表明…4月に皇太子へ譲位 読売新聞 2013年1月29日閲覧
    3. 「女王の日」は「王の日」になります!、オランダ政府観光局(日本語)、2013年5月5日閲覧。