ニヴフ

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テンプレート:Infobox 民族 ニヴフNivkh(ロシア語での複数形はニヴヒNivkhi)は、樺太中部以北及び対岸のアムール川下流域に住む少数民族。古くはギリヤークGilyak(ロシア語での複数形はGilyaki)と呼ばれた。アイヌウィルタと隣り合って居住していたが、ウィルタ語の属するツングース諸語ともアイヌ語とも系統を異にする固有の言語ニヴフ語を持つ。アムール川流域のニヴフ語と樺太のニヴフ語は大きく異なる。

概要

樺太の他の先住民と同じく、古くは狩猟・漁猟をしていた。また近世には日本との貿易の仲介もしていた。

現在多くはロシア領内に住むが、第二次世界大戦前に日本領だった南樺太に居住して日本国籍をもっていた者は、日本の敗戦後に北海道網走市など)へ強制移送されたり、進んで移住したりした。現在の人口は両国合わせて数千人と考えられるが、日本では明確な統計は存在しない。『現代のアイヌ : 民族移動のロマン』(菅原幸助、現文社、1966)によれば1966年時点で網走3世帯、函館2世帯、札幌3世帯で30人いたとされる。

ニヴフはオホーツク文化の担い手であったという説がある[1]。古来の中国大陸の文献に記載されている粛慎(しゅくしん、みしはせ)や挹婁(ゆうろう)は、一般にはツングース系の民族とされているが、『日本書紀』の粛慎はニヴフではないかとの指摘もある。なお、『日本書紀』に現れる粛慎と、中国大陸の文献に記載されている粛慎の存在時期には数百年の開きがあり関係性は不明である。

名称

ロシア革命前はギリヤーク(гиляк)と呼ばれていたが、現在では彼らの自称に基づいてニヴフ(нивх)と呼ばれている。「ギリヤーク」という名称はロシア語風に訛ったものであり、もともとは「ギリミ(吉里迷)」といった。その語源についてはギリャミ(テンプレート:Script)「漕ぐ」に由来するとされ、ウリチ語のギラミ(テンプレート:Script)「大きな舟に乗る人々」がその意であるとされる[2]。「ニヴフ」という自称はアムール川下流部で「人」を意味する語に由来するものであり、樺太東岸ではニグヴン(Nigvyng)というが、これも「人」を意味する[3]

間宮林蔵は「スメレンクル夷」と記したが、これは樺太アイヌ語の「sumari(キツネ)」と、アイヌ語で人をいう「クル」が合わさった「キツネびと」を意味する名称という説がある[4]

歴史

元朝によるアイヌ攻撃

アムール川下流域から樺太にかけての地域に居住していた吉里迷(ギレミ、吉烈滅)は、モンゴル建国の功臣ムカリ(木華黎)の子孫であるシデ(碩徳)の遠征により1263年中統4年)にモンゴルに服従した[5]。翌1264年至元元年)に吉里迷の民は、骨嵬(クイ)や亦里于(イリウ)が毎年のように侵入してくるとの訴えをクビライに対して報告した。ここで言う吉里迷はギリヤーク(ニヴフ)、骨嵬(苦夷・蝦夷とも)はアイヌを指している[6](亦里于に関しては不明)。この訴えを受け、元朝は骨嵬を攻撃した[7]。これがいわゆる「北からの蒙古襲来」の初めであり、日本に対する侵攻(文永の役、1274年(至元11年))より10年早かった。

間宮林蔵とニヴフ

間宮林蔵樺太西岸のニヴフ集落を訪れたのは1808年と1809年、アムール川下流部に入ったのは1809年であった。

習俗

衣服

下着にはズボン下とシャツがあり、その上からズボンと、膝まで達するシャツを着る。シャツは左から右へ合わせ、首と胸のところでとめる。肌着は中国製の青または灰色の木綿でつくられる。暖かい時には下着だけのことが多いが、夏でも寒い日には犬の毛皮の外套(ロシア語ではシューバ шyбa)を着こんだ。履物はアザラシの皮製長靴であり、甲の部分と靴底は毛を取り除いたアザラシの皮を利用し、胴の部分は毛を表にしたアザラシの皮で膝まで達し、ズボンをその中に入れて紐で縛り付けた。かぶり物は雨と日光を避けるためにヒブハク(hib-hak)と呼ばれる笠をかぶる。女性はロシア語ではハラート(xaлaт)と呼ばれる膝下まで達する魚皮製のシャツを着る。

飲食物

主として魚・肉を食べる。魚はサケ類やチョウザメであり、干し魚や刺身にして食す。肉は主にアザラシであり、アザラシは煮て食す。他には熊,キツネ,オオカミ,アナグマなども食す。また、干し魚(マ)は魚油または海獣油にひたして食べる。

住居

間宮林蔵やシュレンクはニヴフの建物を4つに分類している。

  1. 穴居
  2. 穴居せざる者の居家
  3. 穴居する者夏居る処の家
  4. 倉庫

「穴居」というのは半地下式住居のことで、ニヴフ語で「トルフ toryf」と呼ばれる。現在では見られなくなったが、1960年代までは存在していたとみられる[8]。外観は土まんじゅうの形をなしており、冬には雪に覆われ、煙出しの部分だけが黒く見える。内部は木でピラミッド状の骨組みが組まれ、その上から土をかぶせて外壁としている。天井にはタマ・クティ(tama khuty)と呼ばれる煙出し穴があるが、明りとりの役割もあった。入口は必ず東向きに造られ、土まんじゅうから突き出ている。半地下なのでしきいと土間の間に段差があるため、階段がある場合とない場合があり、いくらか危険がある。

「穴居せざる者の居家」というのは19世紀になって、ニヴフに広まった穴居に代わる住居スタイルであり、ニヴフ語で「チャドルフ chadryf」と呼ばれるものである。これは丸太を組んだログハウス状の家屋であり、半地下ではなく地上型となったため、窓ができて明りとりがしやくすなったが、冬に寒風が吹きこんでくるという問題点があった。内部は土間があり、かまどが2つある。土間の中央には犬を飼うための長い板(kangyl)が設けられていた。

「穴居する者夏居る処の家」というのはニヴフの夏期の家屋であり、「ケルフ keryf(海の家、海岸の家)」と呼ばれる。ニヴフは10月から5月までは冬用の家で暮らすが、5月から10月は夏用の家で暮らす。夏季用住居は地上にそのまま建てる地上式と、杭上に建てる高床式があった。

「倉庫」というのは高床式倉庫のことで、ニヴフ語で「ニョ nyo」と呼ばれる。構造は夏季用住居のケルフとほぼ同じであるが、食糧庫として利用されていたため、杭(切り株)の上にはネズミ除けが設けられていた。

氏族

スモリャクの調査によると、19世紀末から20世紀初頭にかけてギリヤークの氏族は67を数えた[9]。氏族名は熊,アザラシ,鳥などの動物名、人のあだ名、一年の月名、場所名などに由来するものが多かった[10]

結婚

葬制

言語系統

ニヴフの言語(ニヴフ語)は、ツングース・満州系諸族に属する近隣の諸言語とは全く異なり、古シベリア諸語(古アジア系)に便宜上分類されている。

Y染色体ハプログループ

ニブフのY染色体ハプログループの構成比は、C3が8/21=38.1%、O(O3,O1aを除く)が6/21=28.6%、P(R1aを除く)が4/21=19.0%、R1aが2/21=9.5%、その他(A,C,D,E,Kを除く)が1/21=4.8%である。(田島等の2004年の論文"Genetic Origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages"による)

日本のニヴフ人一覧

  • 中村チヨ(なかむら ちよ、1906年 - ?)樺太生まれ。父がサンタン人。母がニヴフ人。ニヴフ人のウシク・ウーヌ(wysk wonη)と結婚し、1947年に北海道に引き揚げる。その後は、岩内に2年住んだのち、網走に移住。

ニヴフ(ギリヤーク)を題材にした作品など

  • 伊福部昭「ギリヤーク族の古き吟誦歌」 - 声楽曲
  • 大江健三郎「幸福な若いギリヤク人」『大江健三郎全作品2』新潮社
  • ふじ沢光夫「ギリヤークふんぐり団」 - 漫画(「ガロ」連載)
  • ギリヤーク尼ヶ崎 - 大道芸人、舞踏家。本人はニヴフでないが、生みの母親が欧州人とニヴフの血を引いている。
  • 村上春樹1Q84」-物語の中で、ギリヤーク人について描写したチェーホフの小説が引用される
  • 上原善広「異貌の人びと 」-ルポルタージュ。第二次世界大戦でニブフと行動を共にした元下士官へのインタビューがある。

脚注

  1. オホーツク人のDNA解読に成功ー北大研究グループー。2012年6月18日の北海道新聞朝刊
  2. テンプレート:Script, 1976, p126
  3. テンプレート:Script, 1975, p25
  4. Schrenck,p117
  5. 中村2010、414-415頁。『元史』巻119「木華黎伝」附碩徳伝。
  6. クイ(骨嵬・蝦夷)はニヴフ語でアイヌを意味するkuyiを音訳したものと思われる。
  7. 元史』「世祖本紀」至元元年十一月丙子(1264年11月25日)条。
  8. テンプレート:Script, 1961, p111
  9. テンプレート:Script, 1970, p270
  10. テンプレート:Script, 1969, p56

参考資料・文献

  • 『北東アジア民族学史の研究』(加藤九祚、恒文社、1986)
  • 『ギリヤークの昔話』(中村 チヨ、村崎 恭子、ロバート・アウステリッツ、北海道出版企画センター、1992)
  • 『新サハリン探検記』(相原秀起、社会評論社、1997)
  • 『服部健著作集 ギリヤーク研究論集』(服部健、北海道出版企画センター、2000)
  • 『トナカイ王 北方先住民のサハリン史』(N.ヴィシネフスキー、小山内 道子訳、成文社、2006)

関連項目

外部リンク