網走市

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テンプレート:Infobox 網走市(あばしりし)は、北海道オホーツク総合振興局管内にあるで、振興局所在地である。

市名の由来については、アイヌ語「チパ・シリ」であり、「チパ」は祭壇を意味する古語。網走川の河口の沖にある帽子岩[1]を指したもので「祭壇のある島」と呼ばれていたものが古語のため難解になり、言語の変遷と共に元の意味が忘れられ、「チ・パ・シリ」(我らの見つけた地)と俗解され、更に「ア・パ・シリ」(我らの見つけた地)と転じた。(チ、アはどちらも“我ら”の意) また俗解として「アパ・シリ」(入り口の地)と解されたりもした。

日本の市町村をアルファベット順に並べると、当市 (Abashiri)が一番初めになる。

地理

ファイル:Abashiri01.JPG
市街地の街並み
ファイル:Abashiri city center area Aerial photograph.1977.jpg
網走市中心部と網走港の空中写真。網走川河口部に市街地と港が形成されている。1977年撮影の7枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

オホーツク総合振興局管内東部、北見市から東に約50kmの位置にある。オホーツク海に面する。高い山はなく、丘陵地が多い。市街は網走川河口付近と、その南に続く海岸段丘上の平地に広がる。北西部に能取湖、中部に網走湖、東部に濤沸湖があり、それぞれ網走国定公園の一部である。

気候

一年を通じて晴天が多く、年間降水量降雪量は少ない。オホーツク海に面するため海洋性気候の影響も受け、北海道東部としては比較的温暖な気候である。

春は寒暖差が非常に激しく、5月の連休の頃に雪が降ることもあれば、その数日後にはフェーン現象によって道内で最も早い真夏日を観測することさえある。夏季はオホーツク海高気圧に覆われると、涼しい日々が続くが、太平洋高気圧の勢力が強くなると太平洋側に比べて気温が上がりやすい。南や南東からの風が吹いたときにはフェーン現象により、しばしば真夏日になり、猛暑日さえ観測されることもあるなど気温差は激しい。最高気温記録は1994年8月7日に観測された37.6℃と帯広の37.8℃(1924年7月12日に記録)についで道内官署では2番目に高い記録である。秋は短く、春と同様気温の変動が大きい。台風の影響を受け、大雨となることもあり、10月になると紅葉が始まり、10月下旬~11月始めには雪が降り始める。冬季はオホーツク地方では雄武に次いで、冬の平均気温が高くなっており、過去最低気温の記録は1902年1月25日に観測された-29.2度であるものの、1987年2月20日の-20.6度を最後に過去25年以上も-20度以下の気温は観測されず、近年は下がっても-17度前後のことが多い。流氷が接岸し、内陸性の気候の特色が加味される2月が年間でもっとも寒く、流氷が消える3月半ばまで冬は続く。降雪量はそれほど多くないが、冬の終わりの2月下旬から3月にかけては低気圧の通過により、ドカ雪をもたらすことがあり、2004年2月23日には過去最深積雪の143cmを記録している。一般に、暖冬年ほど年間降雪量が多くなる傾向にある。

網走は気象庁により都市化の影響の少ない観測地点として北海道の観測地点では根室寿都と共に北日本の平均気温の算出地点に選ばれているが温暖化が著しく、特に冬季の平均気温は急激に上昇している。下記の1961年1990年平年値と比較すると、1月が1.1℃、2月は1.2度の上昇となった。都市化の影響が比較的少ないにも関わらず、特に2月の上昇率は全国の官署地点の中では同じオホーツク海に面する雄武と共に最も激しことから、流氷の減少との関連も指摘されている他、観測露場における日だまり効果を指摘する研究者もいる[2]

テンプレート:Weather box

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人口

テンプレート:人口統計

歴史

行政

歴代市長

氏名 就任年月日 退任年月日 生没年月日
代理 大島 光雄
(おおしま みつお)
1947年(昭和22年)2月11日 1947年(昭和22年)4月4日
初代 吉田 栄吉
(よしだ えいきち)
1947年(昭和22年)4月5日 1955年(昭和30年)4月29日
2代 有末 三郎
(ありすえ さぶろう)
1955年(昭和30年)4月30日 1959年(昭和34年)4月29日
3代 遠藤 熊吉
(えんどう くまきち)
1959年(昭和34年)4月30日 1963年(昭和38年)12月20日 1912年(大正元年)12月28日
4代 佐藤 忠吉
(さとう ちゅうきち)
1964年(昭和39年)2月2日 1974年(昭和49年)10月17日 1913年(大正2年)2月28日
 - 1974年(昭和49年)10月17日
5代 安藤 哲郎
(あんどう てつお)
1974年(昭和49年)12月1日 1998年(平成10年)11月30日 1926年(大正15年)3月1日
 - 2009年(平成21年)7月4日
6代 大場 脩
(おおば おさむ)
1998年(平成10年)12月1日 2010年(平成22年)11月30日 1937年(昭和12年)5月26日
7代 水谷 洋一
(みずたに よういち)
2010年(平成22年)12月1日 現職 1963年(昭和38年)4月8日

行政機関

  • 北海道立網走水産試験場

国の機関

経済

金融

かつての網走市は12もの金融機関をもっていたが、経営破綻や撤退の動きもあって現在では8つにまで減少した。

現在もある金融機関

かつて置かれていた金融機関

農協・漁協

  • オホーツク網走農業協同組合(JAオホーツク網走)
  • 網走漁業協同組合
  • 西網走漁業協同組合

産業

ファイル:Abasirinooka.JPG
網走の丘、じゃがいも畑の風景

農業

漁業

観光

  • 冬には流氷が見られるほか、観光砕氷船が運航される。
  • 3月下旬から5月初めの流氷が去る時期で、気温が急激に上昇する時、流氷の上位蜃気楼である「幻氷」を見ることができる。

特産品

立地企業

  • デンソー網走テストセンター
  • インターファーム知床事業所 - 日本ハムグループ
  • 日本フードパッカー道東工場 - 日本ハムグループ
  • 日本ホワイトファーム知床事業所 - 日本ハムグループ
  • 金印わさびオホーツク工場 - 金印の関連会社
  • 網走交通 - 東急グループ
  • タカハシ - カラオケ店などを道内に展開
  • 網走バス - 旧・名鉄グループ、2012年4月2日よりタカハシグループ
  • 道東観光開発 - 同上
  • 網走ハイヤー - 同上

商業施設

かつてはラルズプラザがあった南4条通りが網走の商業の中心であったが、ここ数年は駒場地区に大型店が集中し、駒場周辺が商業の中心となっている。ラルズプラザは2009年平成21年)4月23日をもって閉店した。

駒場ショッピングタウン「アルサキット」とその周辺にあるもの

「アルサキット」以外で駒場周辺にあるもの


中心市街地にあるもの

公共機関

警察

消防

郵便

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宅配便

医療

主なもの

姉妹都市・提携都市

海外

国内

地域

教育

ファイル:Maruman-shogakko.jpg
旧丸万小学校(木造)白鳥台小学校に統合

住宅団地

  • 道営住宅大曲団地
  • 道営住宅中央公園団地
  • 道営住宅つくしヶ丘団地
  • 道営住宅潮見団地
  • 道営住宅駒場団地
  • 道営住宅グリーンタウンリバーサ
  • 道営住宅サンリッチヴィラ
  • 道営住宅サンガーデン鉄南

交通

空港

港湾

鉄道

かつては湧網線(網走市内の駅:能取駅 - 中能取仮乗降場 - 北見平和駅 - 卯原内駅 - 二見中央仮乗降場 - 二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場 - 網走駅)、東藻琴村営軌道が通っていたが、現在は廃止されている。

バス

タクシー

  • 網走市エリアの管轄

主なタクシー会社

  • 網走ハイヤー
  • 網走北交ハイヤー

道路

ファイル:Abashiri Michinoeki3.JPG
道の駅流氷街道網走

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

文化財

国の史跡

国の名勝

  • 天都山[1938年(昭和13年)12月14日指定]

網走市指定文化財

国の登録有形文化財

  • 博物館網走監獄
    • 教誨堂 [2005年(平成17年)7月12日登録]
    • 五翼放射状平屋舎房 [2005年(平成17年)7月12日登録]
    • 二見ヶ岡農場 [2005年(平成17年)7月12日登録]
    • 庁舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
    • 煉瓦造独居房 [2012年(平成24年)8月13日登録]
    • 鏡橋入口哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
    • 鏡橋出口哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
    • 西門哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
    • 裏門 [2012年(平成24年)8月13日登録]
    • 裏門哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]

文化施設

自然景勝地

公園

その他観光スポット

社寺

イベント

1月

  • 網走湖ワカサギ釣り 
  • 流氷観光砕氷船おーろら運航(3月まで)
  • 北の新大陸発見!あったか網走(3月初旬まで。網走湖畔)

2月

  • あばしりオホーツク流氷まつり(上旬 - 中旬)
  • オホーツク屋台村(上記流氷祭りと同時期)
  • オホーツク歩くスキーの集い

5月

  • 名勝・天都山さくらまつり(上旬)

6月

  • でっかいどうオホーツクマーチ(北見市・網走市)

7月

  • インターナショナルオホーツクサイクリング(雄武町・興部町・紋別市・湧別町・佐呂間町・北見市・網走市・小清水町・斜里町)
  • 網走感動朝市(中旬 - 10月上旬) 
  • あばしりオホーツク夏まつり(下旬)
  • オロチョンの火祭り(下旬)
  • ホクレンディスタンスチャレンジ網走大会 
  • 道の駅「流氷街道網走」夕市まつり(下旬 - 8月上旬)

8月

  • 網走ラグビーフェスティバル(上旬)

9月

  • 七福神まつり(上旬)
  • さんご草まつり(中旬)
  • フラワーガーデン「はな・てんと」まつり(下旬)
  • 網走一番!秋祭り
  • てんとらんど感謝祭

10月

  • モヨロの夜祭り〜カムバックサーモンin網走湖
  • 感動の径(みち)ウォーク

網走を舞台とした作品

マスコミ

出身の有名人

芸術

スポーツ

その他

民族

歴史的経緯により民族構成は特徴的であるが、公的統計が存在しないため正確な民族別人口は不明。移住順。ちなみに北海道立北方民族博物館はアイヌ・ウィルタ・ニヴフの伝統文化も取り扱う。

  • アイヌ - 先住民族
  • 大和民族(和人) - 19世紀初頭、近江商人藤野喜兵衛[8]が漁場を設置したことに始まり、本州などから入植が増加[9]。最も多数と見られる。
  • 朝鮮民族 - 日韓併合後、朝鮮の斡旋業者に出稼ぎ労働者が騙され日本各地の他雇部屋業者へ売られた。現在外国籍を含めると少なくとも数十人以上と見られる[10]
  • ウィルタ - 第二次大戦後、樺太などから強制移住。極少数。
  • ニヴフ - 第二次大戦後、樺太などから強制移住。極少数。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

歴史書

  • 佐藤久発行・佐藤紘一編集『網走大鑑 昭和48年版』(網走新聞社、1972年11月05日発行)
  • 網走小史編集委員会編集・ぎょうせい監修『新網走小史』(網走市総務部、1987年12月30日発行)
  • 網走小史編集委員会編集『新網走史年表』(網走市総務部、1987年12月30日発行)

郷土資料

  • 編集兼発行・小島喜代治『観光北海道 1956年版』(北海道新聞社、1956年08月30日発行)

その他

  • 企画調整広報公聴係編集『広報 あばしり』(網走市発行)

関連項目

外部リンク

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行政
観光
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  1. 正式名称「渡良岩」(カムイ・ワタラからの転)。沖に漁に出る時に、イナウを捧げ祈った場所
  2. 露場近傍の環境変化に伴なう気温変化 (1)網走の気温上昇 近藤純正 東北大学名誉教授
  3. 3.0 3.1 アイヌ語で「kurmat(=神女)oma(=がいる)nay(=沢)」の意
  4. アイヌ語で「ni(=木)kur(=影)pake(=頭)」の意
  5. アイヌ語で「ni(=木)kur(=影)」の意
  6. アイヌ語で「tanne(=長い)sirar(=岩)」の意
  7. 「ポンモイ」とはアイヌ語で「pon(=小さい)moy(=入江)」の意
  8. 網走市歴史
  9. 郷土博物館
  10. 外国人登録者数「韓国・朝鮮籍」からの推定