ニキータ・パーニン

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ニキータ・パーニン

ニキータ・イワノヴィッチ・パーニン伯爵Ники́та Ива́нович Па́нин、Nikita Ivanovich Panin、1718年9月18日(グレゴリオ暦9月29日) - 1783年3月31日(グレゴリオ暦4月11日))は、帝政ロシア貴族政治家

エカチェリーナ2世冊立の功労者の一人であり、女帝の統治時代前半18年間における有力政治家として、外交を統括し、政務全般における政治顧問であった。一方で、パーニン伯は、啓蒙主義者として政治的自由を主張し、皇太子パーヴェル大公(後の皇帝パーヴェル1世)を擁立し、ロシアに立憲君主制を導入することを主張したため、あくまで専制者としてロシアに君臨した女帝とは対立した。パーニン伯は、外交・軍事面では、北方同盟及び、プロイセンフリードリヒ大王との関係強化を主張した。ポーランド分割に関して頑強に反対したため、女帝の方針により従順だったテンプレート:仮リンク公爵と交代させられた。