カステル・デル・モンテ

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テンプレート:Infobox カステル・デル・モンテテンプレート:Lang-it)は、イタリア共和国南部のプッリャ州アンドリアの郊外にある中世の城。13世紀神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(フェデリーコ2世)によって建築された。八角形を象徴的に取り入れた設計になっており、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。

名称

イタリア語で、「カステル」が城、「モンテ」が山で「山の城」を意味する。このことからモンテ城デルモンテ城とも和訳されている。

概要

アンドリア市街から南へ約20km、サンタ・マリア・デル・モンテの集落の近くに位置する。付近一帯はアルタムルジャ国立公園(Parco Nazionale dell'Alta Murgia)として指定されている。

建造者であるフリードリヒ2世イスラム教への理解を示すかのごとく、築城の位置は当時のキリスト教の拠点であるシャルトルとイスラムの中心メッカとの2点を結ぶ直線上の地点に立地している。(Google Map

丘の上にぽつんと立つ美しい城で、フリードリヒ2世の数学へ造詣を表す黄金比を用いた八角形を象徴的に取り入れており、全体が八角形の平面で構成され、中央に八角形の中庭を内包し、8つのコーナーにはそれぞれ八角形の小塔がそびえる。

イタリアのユネスコ世界遺産(文化遺産)の一つになっていて、1ユーロセント硬貨の裏面にもなっている。

この城は軍事上でも居城でもなく別荘または客をもてなすために使用されたと考えられている。

歴史

1240年頃、シチリア王フェデリーコ1世(シチリア王としては1世だが、神聖ローマ皇帝としてフリードリヒ2世またはフェデリーコ2世として有名)によって建てられた。 その後長い間放置され1876年にイタリア国家の所有となり1928年から修復が始まった。1996年にはユネスコの世界遺産に登録された。

2012年姫路城ノイシュバンシュタイン城などと共にトリップアドバイザー・バケットリストの「世界の名城25選」に選ばれた[1]

世界遺産

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core

脚注

  1. 日本の姫路城も!死ぬまでに行きたい“世界の名城”って

外部リンク

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