デニス・ロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 デニス・ロー(Denis Law, 1940年10月18日 - )は、スコットランド出身の元サッカー選手。ポジションはFW(CF)。

人物

スコットランドが世界に誇る名ストライカーボビー・チャールトンジョージ・ベスト等と共にマンチェスター・ユナイテッドの一時代を築き上げた。オールド・トラッフォードには、この二人と並んでローの像が建てられている。スコットランド代表での30ゴールはケニー・ダルグリッシュと並んで同国最多得点記録である。

奔放な行動や激しい闘争心、その得点力と容姿から相手チームからは『金髪の悪魔』と恐れられ、ファンからは『キング』と呼ばれた。 高い得点力を持ち、『ジャックナイフ』と称される鋭いヘディングシュートの他、ロングシュートやアクロバティックなシュートも得意でボビー・チャールトン以上の人気を誇り、彼にあやかりたいと子供に「デニス」と名付ける親が続出、デニス・ベルカンプもローの名から来ている。

経歴

1955年15歳でハダースフィールド・タウンと契約、翌年トップチームに出場。1958年10月18日にはウェールズ戦で代表デビューを果たす。1960年マンチェスター・シティへ移籍、ここでの活躍が認められ、1961年、当時イングランドの移籍金最高額でイタリアトリノへ移籍。しかし思うような結果が出せず1シーズンでイングランド・フットボールリーグへ復帰し、1962年マンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。

1973年まで在籍し、11シーズンの通算成績は309試合出場171得点、1964年にはスコットランド人初のバロンドールを受賞、1964-65、1966-67シーズンにはリーグ優勝に貢献。FAカップも2度獲得し、彼が決めた40ゴールはイアン・ラッシュが塗り替えるまで同大会での最多得点記録だった。1967-1968にマンチェスター・ユナイテッドはUEFAチャンピオンズリーグでも優勝したが、怪我により入院していたローは決勝のピッチに立つことが出来なかった。しかし後日、監督であるマット・バスビービッグイヤーを持ってローの病室を訪れたという。

1973年古巣マンチェスター・シティへ移籍、ここで1シーズンを過ごし、1974年34歳で現役を引退した。ローが決めた現役最後のゴールは、マンチェスター・ユナイテッドの2部リーグ降格を決めるものだった。

2002年には、イングランドサッカー殿堂に選ばれている。

所属クラブ

出典

テンプレート:Reflist

テンプレート:Navboxes テンプレート:1974 FIFAワールドカップスコットランド代表