ジャワ沖海戦

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colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | ジャワ沖海戦
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | USS Marblehead
戦争大東亜戦争 / 太平洋戦争
年月日:1942年2月4日
場所マカッサル海峡
結果:日本の勝利
交戦勢力
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | テンプレート:JPN1889 テンプレート:USA1912
テンプレート:NED
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 指揮官
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 塚原二四三中将 カレル・ドールマン少将
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 戦力
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 陸上攻撃機60 重巡洋艦1
軽巡洋艦3
駆逐艦7
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 損害
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 陸攻1 重巡洋艦1、軽巡洋艦2小破

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ジャワ沖海戦(ジャワおきかいせん)は第二次世界大戦での日本海軍と連合軍艦隊との間の海戦

概要

1942年2月4日、日本軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合軍艦隊を発見した。これは重巡ヒューストン、軽巡マーブルヘッドデ・ロイテルトロンプ、駆逐艦7隻からなるドールマン少将指揮の連合軍艦隊で、日本軍の上陸船団攻撃に出撃したものであった。この艦隊に対し、日本海軍第11航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将)はセレベス島ケンダリー基地航空部隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機にて攻撃した。この攻撃でヒューストンは250kg爆弾の命中弾が1発、マーブルヘッドは250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受け損傷した。また、デ・ロイテルも至近弾で小破した。ドールマン少将は攻撃を断念し引き上げた。

その後の戦況

この海戦後、日本軍は2月8日にマカッサル、10日にバンゼルマシンに上陸しこれを攻略した。19日にはサヌール泊地に進入してバリ島上陸を開始し、未明には日本軍が飛行場を占領した。

連合軍艦隊はこの後、バリ島沖海戦を経て、日本軍のジャワ島侵攻に際して発生したスラバヤ沖海戦バタビヤ沖海戦で壊滅することになる。

なお、本海戦で損傷したマーブルヘッドはセイロン島へ避退、そのままインド洋・大西洋を経由する大航海の果てに米本国へ生還している。