シェイン・マクマホン

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テンプレート:Infobox プロレスラー シェイン・マクマホン[1]Shane Brandon McMahon1970年1月15日 - )は、コネチカット州ハートフォード出身の実業家。シェイン・O・マックのニックネームを持つ。WWEオーナー・ビンス・マクマホンの息子であり、かつてはWWEのグローバルメディア部門の副社長を務め、WWEのバックステージ、テレビ番組両方に関わっていた。

正式なプロレスラーではないが、選手として試合にも何度となく出場し、タイトルを獲得したこともある。父親のビンス同様、あるいはそれ以上に体を張ったハードな試合を行うこともあった。プロレスの才能は、並みのレスラーを上回っているとの評価を受けている。なお、大一番で見せる「コーナーtoコーナー」はロブ・ヴァン・ダムが元祖である。

来歴

1993年ボストン大学を卒業した後、父ビンスが経営するWWE(当時WWF)へ入社。ビンスの息子であるが特別扱いはされず、初めての仕事はイベントスタッフの一員としてチケットの捥ぎりであった。後に販売、マーケティング、デジタルメディア部門などを受け持つようになる。

マクマホン一家のストーリがWWFの前面に押し出されるようになるにつれ、WWFの番組、試合に登場するようになる。1999年には父親のビンスやロックと組んでヒールのユニット「コーポレーション」を結成。ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと抗争を行う。

2001年にはWCWのストーリー上のオーナーとなり、同じくストーリー上のECWオーナーである妹のステファニー・マクマホンと結託。WCW / ECW連合軍(アライアンス)を率い、WWFとの抗争を行った。

2003年ベビーフェイスとしてケインとの抗争でアンフォーギヴェンサバイバー・シリーズに登場して以降はレスラー活動は控えていたが、2006年より再開(以下後述)。 一時期、ハウス・ショーに父親に代わって随行しており、日本武道館さいたまスーパーアリーナで開催されたハウス・ショーにも登場し、大きな歓声をもって迎えられている。

プライベートでは、2003年10月に結婚。相手はWWEのテレビ番組『WWFライブワイヤ』で司会を担当したことがあるマリッサ・マズゥーラである。2004年2月13日に長男誕生。長男も写真ではあるが既にWWEに登場している。

2005年10月、WWEのテレビ番組であるRAWの放送局がUSAネットワークに戻った際の特番『WWEホームカミング』に登場。ただし登場してすぐにストーン・コールド・スティーブ・オースチンからスタナーを受けてダウンさせられた。

2005年11月、サバイバー・シリーズ後のRAWに登場。エリック・ビショフとGMの座を巡って抗争を開始したが、エリック・ビショフ解雇後は、父ビンスと親子ヒールとして活動しショーン・マイケルズと抗争を開始。2006年3月18日に行われた興行、サタデー・ナイト・メイン・イベントにおいてショーン・マイケルズと対戦した際、シェインがシャープ・シューターを出した直後にビンスがゴングを要請し、かつてのモントリオール事件を再現するかのような結末で勝利した。その後も引き続き登場し、ショーン・マイケルズ、トリプルHDXと抗争を繰り広げた。2007年ウマガを仲間に加えて、父ビンスと共にボビー・ラシュリーと激しく争っていた。

2008年3月の『レッスルマニア24』でのフロイド・メイウェザー・ジュニアの参戦についての交渉役をしていたとも伝えられている。

団体の日本公演では、2004年7月の日本武道館公演をはじめ、度々来日(初来日はレフェリーとして参加した1990年4月13日の『日米レスリングサミット[2])。2005年2月のさいたまスーパーアリーナ大会では、11月の記者会見や、直前に開催されたロイヤルランブルで負傷した父ビンスの代理として来日している。

2009年1月に父親のビンスにパントキックを浴びせたランディ・オートンに怒りをあらわにし、再びリングに登場する。その後トリプルHバティスタを交えオートン率いるレガシーと抗争する。この抗争以降はリングには上がらず副社長としての業務に戻る。

2009年10月、WWE.com上で2010年1月1日をもってWWEを去ることが発表された。その理由は社の上層部にしか告げられず、公には明らかになっていない。

2009年11月、UFCの代表ダナ・ホワイトと会談したとの情報が流れる。ホワイトはその件について「ノーコメント」としている。

2010年8月、シェインは中国向けのビデオ・オン・デマンドサービス提供会社『チャイナ・ブロードバンド』(現在のユー・オン・デマンド)のCEOに就任した[3]。またシェインはこの他にスポーツ選手の国際向けマネジメント事業を行っており、所属選手にローリー・マキロイアーニー・エルス(共にプロゴルファー)がいる[4]

得意技

ダイビング・エルボー・ドロップ
シェインの場合、リングサイドの実況席に横たわる相手に向かって飛ぶことが殆どで、リング内に向かって飛ぶことは少ない。
フロム・コーナー・トゥ・コーナードロップキック
シューティングスタープレス

獲得タイトル

入場曲

  • Here Comes The Money
  • No Chance In Hell

マクマホン・ファミリー

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脚注

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外部リンク

  • 英語での発音はマクマーンとする方が近い。
  • 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P98(2002年、日本スポーツ出版社
  • wrestlwiew.com、2010年8月3日報道。[1]
  • sescoops.com、2011年4月11日報道。[2]