西ポモージェ県
西ポモージェ県 (Województwo zachodniopomorskie) | |||
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位置 | |||
250px | |||
情報 | |||
地域: | ポーランド北西部 | ||
県都: | シュチェチン | ||
面積: | 22,902 km² | ||
人口 - 合計 - 人口密度 |
約1,732,838 人 76 人/km² | ||
郡: | 18 | ||
グミナ: | 114 | ||
略号: | Z | ||
県番号: | 32 | ||
県知事: | スタニスワフ・ヴジョンテク (Stanisław Wziątek) | ||
公式ウェブサイト: | 県庁公式ウェブサイト |
西ポモージェ県(Województwo zachodniopomorskie)は、ポーランド北西部の県である。県都はシュチェチン。バルト海に面している。ドイツと接していて、国内ではルブシュ県、ヴィエルコポルスカ県、ポモージェ県と接している。1999年1月1日、ポーランドの地方行政区画の改正にともない誕生した。主に旧シュチェチン県、旧コシャリン県からなり、旧ゴジュフ県、スウプスク県、ピワ県の一部も含む。
ポメラニア地方としてポーランド、デンマーク、スウェーデン、ドイツが領有権を求めて争った。第二次世界大戦まではドイツ領であった。ドイツ領時代は後ポンメルン(ヒンターポンメルン)地方と呼ばれた。オーデル・ナイセ線が国境として確定されたのに伴い、数百年ぶりにポーランド領に復帰した。
地域区分
- 郡 (powiat)
- ビャウォガルト郡 (Powiat białogardzki)
- ホシュチュノ郡 (Powiat choszczeński)
- ドラフスコ郡 (Powiat drawski)
- ゴレニュフ郡 (Powiat goleniowski)
- グルィフィツェ郡 (Powiat gryficki)
- グルィフィノ郡 (Powiat gryfiński)
- カミェン郡 (Powiat kamieński)
- コウォブジェク郡 (Powiat kołobrzeski)
- コシャリン郡 (Powiat koszaliński)
- ウォベス郡 (Powiat łobeski)
- ムィシリブシュ郡 (Powiat myśliborski)
- ポリツェ郡 (Powiat policki)
- プィジツェ郡 (Powiat pyrzycki)
- スワヴノ郡 (Powiat sławieński)
- スタルガルト郡 (Powiat stargardzki)
- シュチェチネック郡 (Powiat szczecinecki)
- シフィドヴィン郡 (Powiat świdwiński)
- ヴァウチュ郡 (Powiat wałecki)
- 特別市
- コシャリン(ケスリーン) (Koszalin, pl)
- シュチェチン(シュテッティーン) (Szczecin, pl)
- シフィノウイシチェ(スヴィーネミュンデ) (Świnoujście, pl)
- スタルガルト・シュチェチンスキ (Stargard Szczeciński pl)
観光地
コウォブジェク
テンプレート:Main バルト海沿岸のリゾートタウン。遅くとも6世紀にはスラヴ人の村が作られ、塩田によって塩が生産された。972年からポーランド領。ポーランド語でコウォ(Koło)は「サークル」、ブジェク(Brzeg)は「砦」を表し、コウォブジェクは「丸い形をした砦」の意味。11世紀に先住民による自治が回復したが1107年より再度ポーランド領。12世紀よりデンマーク領のちに神聖ローマ帝国領ポメラニア公国の一部となる。1255よりハンザ同盟に加盟、17世紀よりプロイセン領となりのちにドイツ帝国領。第二次世界大戦後から再びポーランド領。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍の戦い、特にドイツ海軍による艦砲射撃により市街地のほとんどすべてが破壊された。戦後ポーランド市民の手によって中世の街並みが再建された。現在は海岸沿いのサマーリゾートとして国内外から観光客がやってくる。街の公式サイト(英語・ポーランド語・ドイツ語)あり[1]。
- Kolobrzeg plac Ratuszowy przed ratuszem 2007-05.jpg
旧市庁舎
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旧市庁舎
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街角
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大聖堂と民家
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コウォブジェク灯台
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ギェウドヴァ通り
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国内軍通り
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国内軍通り
- Kolobrzeg Mariacka Street middle 2007-05.jpg
エミリア・ギェルチャク通り
- Kolobrzeg Emilii Gierczak with Mariacka cross streets 2007-05.jpg
エミリア・ギェルチャク通り
- Kolobrzeg Mariacka Street middle top 2007-05.jpg
大聖堂通り
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裁判所
- Kołobrzeg Police Station 2008-02.jpg
警察署
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マリア通り
- Kolobrzeg ulica Stanislawa Dubois 2007-05.jpg
デュボワ通り
- Kolobrzeg Narutowicza Street buildings 2007-05.jpg
デュボワ通り
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海岸通り
- Kolobrzeg at the pier 2005-07.jpg
観光桟橋
シュチェチン
テンプレート:Main ポモージェ県の県都で、オドラ川の河口にある港湾都市。1630年代までポーランド人に近いスラヴ系のグリフィン家(Gryfici)がポメラニア公家となりこの地を統治していたが、住民のほとんどは神聖ローマ帝国から移住してきた。その後スウェーデン領、プロイセン王国領、ドイツ帝国領と変遷し、第二次世界大戦後よりポーランド領。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍との激しい戦闘で街の大半が破壊されたが、戦争が終わると歴史地区はポーランド市民により戦前の姿に復元された。シュチェチン近郊のシフィノウイシチェ(Świnoujście)からは、スウェーデンのイースタ(Ystad)、デンマークのコペンハーゲンとロンネ(Rønne)へフェリーが運航している[2]。公式サイト(英語)あり[3]。
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シュチェチン
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テラス
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県庁舎
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県庁舎
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シュチェチン海運大学
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シュチェチン城
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シュチェチン城
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旧市街
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旧市街の「王の門」
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旧市庁舎
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白鷲広場
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白鷲広場のグルムブク館
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聖ヤコブ大聖堂
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赤い市庁舎
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郵便局
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郵便局
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中央郵便局
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銀行
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港の門
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聖ヤン教会
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聖ヴォイチェフ(アダルベルト)教会
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ドンビェ地区教会
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市庁舎
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レストラン
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シュチェチン港
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シュチェチン港