サテライトNo.1

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テンプレート:基礎情報 ラジオ番組サテライトNo.1』(サテライトナンバーワン)は、中国放送(RCCラジオ)をキー局に放送された公開ラジオ番組。提供元でもある家電販売店の、現・エディオン広島本店[補足 1]サテライトスタジオより公開生放送された。司会は柏村武昭

概要

第一産業(現:エディオン)の創業25周年に当たる[1]1972年5月7日に『サテライトX』の仮題で放送開始[1][2]。新聞のラジオ欄には「只今タイトル募集中」と番組名が掲示された[3]。その後タイトルは一般公募され[1]、1000通の中から同月28日に『サテライトNo.1』のタイトルが決定[4]。放送開始当初は日曜日16時からの1時間放送で[1]、後に日曜日17時からの1時間放送になり、1988年4月27日まで放送された[5]

タイトルの「No.1」は、エディオンの源流会社の一つのデオデオの旧社名「第一産業」の「第一」が由来になっている[6]

日本各地で評判だった[7]、広島初のサテライトスタジオからの放送で[1]、家電の売り上げ促進策の一環として電通と企画[1]。電通経由で中国放送に協力を依頼し[1]、当時『ビクター・ミュージック・ホリデー』で人気が出始めていた柏村武昭を起用した[1]

木造の旧店舗時代は、2階のオーティオ売場中央ににサテライトスタジオが設けられた[1]。当時のスタジオは、2畳ほどの金魚鉢みたいな簡易的な物だった[1]。放送開始当時、来場者数の多さに床の補強工事を行った話もある[6]1975年6月22日の新装オープンで、7階に本格的なイベント会場が設置され放送された[4][補足 2]

1975年3月に柏村が中国放送退社し、土居まさるの個人事務所に所属するフリータレントに転身後も中国放送との優先出演継続を行い出演を続行[5]。放送終了まで続投した。

ローカルブロックネット番組として成功を収め聴取率も首位を維持[2]。ダイイチの支店網の充実に合わせて、ネット局の拡大や[5]、本店のサテライトスタジオの他にもダイイチの支店内や、ダイイチの支店がある地区のホールなどで公開録音が行われた[5]

番組の企画で、『痛快!赤ヘル音頭』や『サテライトNo.1』のレコードが制作・販売[5]。1977年には本も出版された[8]

1995年に『柏村・やすべえのサテライトNo.1』(かしわむら・やすべえのサテライトナンバーワン)として復活、1年間放送された。

番組終了後も、この枠は「ニンニキ日曜500」や「つないでサン局山陽路」など、中国5県(4局)や山陽地方のネット枠だった。「ニンニキ-」は引き続きダイイチ提供だった。詳しくは柏村武昭の項を参照のこと。

出演者

司会進行役は終始柏村武昭。アシスタントは、放送開始当時に公募を行い、女子大生や主婦、OL、高校生などがアシスタントを務めた[4][8]。1975年4月より林竹洋子テンプレート:Refnestが出演開始[8]。1986年4月まで出演した[5]。その後、ヤングスタッフを応募し、斉藤満喜子松村邦洋が出演した[5]

ネット局

ダイイチ(第一産業)の店舗網拡大に合わせてキー局の中国放送の他、1974年4月から山口放送[4][2]、少し遅れて山陰放送[4][2]、1976年4月から南海放送[4][2]、1977年4月から山陽放送で放送開始[4][2]。ブロックネット番組になった[4][2]

1985年4月には、ダイイチのさらなる店舗網拡大で九州朝日放送KBCラジオ)でも放送された[5]

関連項目

1970年代後半~1980年代前半、FM東京系列にて当番組と同時刻に放送していた柏村がDJを担当した番組。広島でも広島エフエム放送でネットしていた。

脚注

補足

  1. 放送開始当初は『第一産業本店』。後に『ハイライフプラザ第一産業本店』→『ダイイチ本店』に放送期間中変化している。放送終了後に『デオデオ本店』→『エディオン広島本店』になっている。
  2. 2000年代に、サテライトスタジオは7階から8階に移動。よしもと紙屋町劇場としても使われている

出典 

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 238ページ
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 『マスコミ人の裏ばなし』 - 105ページ
  3. ラジオ番組欄 - 1972年5月7日 11ページ
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 239ページ
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 240ページ
  6. 6.0 6.1 『私とデオデオ5 「サテライト No.1」は一生をささげた仕事。もう一度あの番組を新しいデオデオでやってみたい。 柏村武昭さん・洋子さん』 - 中国新聞 朝刊 2012年6月8日 24ページ 広告
  7. 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』 - 237ページ
  8. 8.0 8.1 8.2 『マスコミ人の裏ばなし』 - 106ページ

参考文献

  • 『中国放送の50年 その時、いつもそばにいた』(中国放送50年史編さん委員会、2002年)
  • 『マスコミ人の裏ばなし』(広島映画手帖社、1987年)
  • 『中国新聞』(中国新聞社)各バックナンバー

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