グレートブリテン及びアイルランド連合王国

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ファイル:Union flag 1606 (Kings Colors).svg
ユニオン・フラッグ(1606年 - 1800年)
ファイル:St Patrick's saltire.svg
セント・パトリック・クロス
ファイル:Flag of the United Kingdom.svg
上の2つの旗を合同した現在のユニオン・フラッグ

グレートブリテン及びアイルランド連合王国(グレートブリテンおよびアイルランドれんごうおうこく、テンプレート:Lang-en)は、1801年グレートブリテン王国アイルランド王国が合同して成立した王国である。

概要

1541年テューダー朝イングランドヘンリー8世がアイルランド王の称号の使用を宣言して、アイルランド王国が成立したとされる。この時は一方的な宣言であったが、以後イングランドによるアイルランドの支配強化が始まる。歴代のイングランド王(1707年以降はグレートブリテン王)はアイルランド王を兼ねたが、実態はイングランドによるアイルランドの征服と植民地化の過程であった。ハノーヴァー朝のグレートブリテン王ジョージ3世の時代、1798年フランス革命の影響を受けた愛国主義者たちが、アイルランド共和国建国を目指して反乱を起こした(アイルランド反乱)。この反乱は鎮圧され、1800年ダブリンアイルランド議会は「1800年連合法」を可決、翌1801年1月1日にグレートブリテン王国との合同とともにアイルランド議会は解散した。

20世紀に入ると、アイルランド独立の動きが激しくなった。1916年4月24日の復活祭に武装蜂起(イースター蜂起)が起こり、いったんは鎮圧されたものの、1918年の総選挙では独立派のシン・フェイン党が勝利し、アイルランド独立戦争(英愛戦争)となった。1921年12月6日英愛条約が成立、翌1922年12月6日にアイルランド島の南部26州がイギリスの自治領アイルランド自由国として分離した。連合王国は1927年にグレートブリテン及び北アイルランド連合王国と改称し、これが現在のイギリスの国号となっている。

関連項目