オホーツク

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オホーツクロシア語:Охо́тскアホーツク)は、オホーツク海に面したロシアハバロフスク地方に属する町(都市型集落)である。人口は1989年国勢調査で9,298人、2002年国勢調査で5,738人、2004年の推計では5,500人。

名称

オホータ川オホーツク海の名称の由来である "Охота"(Okhota)とは、「狩猟」(テンプレート:Lang-en-short)という意味である。

地理

オホータ川の河口に位置する小さな港町である。

歴史

シベリア内陸のレナ川水系のヤクーツクの砦(1632年建設)から太平洋側へロシア人遠征者たちが行くには、川舟でレナ川支流のマヤ川上流を遡ってジュグジュル山脈を越え、オホータ川を下りオホーツクの港に着く経路が一般的な経路であったため、1643年セミョーン・シェルコヴニコフСемёна Шелковникова)率いるコサックの越冬地となった。1649年にはオホーツクに砦が建設され、極東地域で太平洋に面したロシア最初の入植地となった。

1718年にはクジマ・ソコロフКузьма Соколов)がオホーツク海最初のロシア船を建造しカムチャツカ半島へ渡った。1731年頃までにはオホーツクがロシアの太平洋側の第一の港となっていた。歴史上様々な探検家がこの町を通った。

アラスカなどへ渡りベーリング海峡を発見したヴィトゥス・ベーリングの2度の探検航海の拠点となったことで知られている。その当時の町長はポルトガルユダヤ人テンプレート:仮リンクだった。またアラスカからの毛皮や水産物の交易でも栄え、露米会社の拠点ともなった。

しかしペトロパブロフスク・カムチャツキーが極東の中心的な港として栄え始め、19世紀初頭にはオホーツクは極東の商業中心地の座を明け渡した。それでもなおしばらくはシベリア小艦隊(後の太平洋艦隊)の拠点であった。1812年には市街地はオホータ川の反対にある現在地に移ったが重要性は低下した。

その後沿海州をロシアが獲得したことにより(en:Amur Annexation)、ウラジオストクが極東ロシアの中心として繁栄し、オホーツクの重要性は失われた。

ロシア内戦の一時期、白軍およびヤクートの反乱の拠点となったことで軍事上の要地となった。

外部リンク