エーリッヒ・マリア・レマルク

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エーリッヒ・マリア・レマルクErich Maria Remarque, 1898年6月22日 - 1970年9月25日)は、ドイツ作家。本名は、Erich Paul Remark(エーリッヒ・パウル・レマルク)。二つの世界大戦全体主義に翻弄される民衆を一貫して描いた。

生涯

ドイツオスナブリュックの生まれ。父は製本業で、フランス革命の時の亡命者の末裔であり、敬虔なカトリック信者だった。本名は Remarkで、Remarque というフランス風の綴りは1921年ころから使い始め、1924年から正式に使用を始めている。Maria という筆名は1922年から使い始めた。

第一次世界大戦が始まった当時はギムナジウムの生徒で、1916年に級友たちと共に志願兵として西部戦線に配属。戦場に出て翌月には榴弾の破片を首や腕に受け、終戦までデュースブルクの軍病院で過ごした。ドイツの敗戦後、負傷兵として帰還し復学、卒業後は教員など職を転々とし、ベルリンに出てスポーツ雑誌の記者となる。

1929年に『西部戦線異状なし』を発表し、各国語に翻訳されて大ベストセラーとなる。早くも翌年にはハリウッドで映画化された。やや通俗的だが反戦的内容でもあったため、右傾化するドイツを避け1932年スイスに移住した。

1933年ナチスが政権を握ってからは彼の本は焼却されたり、「彼は実はフランス系ユダヤ人の末裔だ」「実の本名はクレーマーというのだ」(本名を逆に綴ったもの)といったデマが広まり、妹は強制収容所に送られて死亡、書籍は焚書処分を受けた。1938年にドイツ国籍を剥奪され、1939年アメリカ合衆国亡命し、のち1947年に帰化し市民権を得た。

ナチス政権下で迫害される人々を描く『汝の隣人を愛せ』の姉妹篇で、第二次世界大戦前夜のパリを舞台にした『凱旋門』が発表されると、登場人物の飲むカルヴァドスが世界的に流行となる。映画版『愛する時と死する時』(1958年)では、ゲシュタポに追われる教師ポールマン役で出演。

レマルクはダンサーだった女性と二度結婚したが、他にもマレーネ・ディートリッヒグレタ・ガルボなどとも浮名を流した。1958年にはチャールズ・チャップリンの元妻で女優のポーレット・ゴダードと結婚している。晩年はスイスのロカルノに住み、1970年に動脈硬化に起因する大動脈瘤で死去した。

1967年にドイツ連邦共和国功労勲章大十字章を受章。1991年に故郷オスナブリュック市は「レマルク平和賞」を設立した。

主要作品

秦豊吉訳、新潮文庫、1955年
1930年にルイス・マイルストーン監督で映画化(『西部戦線異状なし (映画)』参照)
  • 『その後に来るもの』黒田礼二訳 朝日新聞社、1931年
  • 『還り行く道』Drei Kameraden 1931年
岩淵達治訳 三笠版世界文学全集 1955年
  • 『3人の戦友』Drei Kameraden 1937年
柳田泉訳『三人の仲間』春秋社、1937年
  • 『汝の隣人を愛せ』Liebe Deinen Nächsten 1941年
山西英一訳 新潮文庫、1959年
山西英一訳『世界文学全集 別巻7 凱旋門』河出書房新社 1960年
1948年ルイス・マイルストーン監督によって映画化。宝塚歌劇団によって舞台化もされた。
  • 『生命の火花』Der Funke Leben 1952年
山西英一訳 潮書房 1953年
小倉正宏訳『ドイツ強制収容所での勇者たちの群像』日本図書刊行会 1994年
小倉正宏訳『生命の火花 ドイツ強制収容所の勇者たち』彩流社 2012年 ※1994年訳の改訂版
山西英一訳『現代世界文学全集』新潮社、1955年、のち新潮文庫(上下)、1958年
  • 『黒いオベリスク』Der schwarze Obelisk 1956年
山西英一訳 河出書房新社 1958年
  • Der Himmel kennt keine Günstlinge1961年
  • 『リスボンの夜』Die Nacht von Lissabon 1963年
松谷健二訳 早川書房 1972年 のち文庫
  • 『モンテカルロに死す』
古沢安二郎訳 読売新聞社 1968年
没後刊行
  • 『楽園のかげり』Schatten im Paradies 1971年(最後の作品「約束の地」収録)
松谷健二訳 早川書房 1975年