イッソスの戦い
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | イッソスの戦い | |
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colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 300px イッソスの戦い(ポンペイのモザイク画) | |
戦争:マケドニアの東方遠征 | |
年月日:紀元前333年10月 | |
場所:イッソス | |
結果:マケドニアの勝利 | |
交戦勢力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 20pxマケドニア王国 | ペルシア帝国 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 指揮官 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 20pxアレクサンドロス3世 | ダレイオス3世 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 戦力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 26,000 歩兵 5,000 騎兵 |
50,000 歩兵 10,000 不死隊 30,000 騎兵 30,000 ギリシア傭兵 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 損害 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 不明 | 110,000 死傷 |
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イッソスの戦い(イッソスのたたかい)は、紀元前333年10月に起こったマケドニア軍(ギリシア連合軍)とペルシア軍の戦いである。アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍がダレイオス3世率いるペルシア軍を破った。
序幕
紀元前334年にアジア遠征に出たアレクサンドロスは、グラニコス川の戦いでペルシアの地元サトラップが率いる軍勢を撃破し、小アジア全体を征服するために進撃を続けた。タルソスに滞在している時に、ダレイオスがバビロンで大軍を編成しているとの情報に接した。ダレイオスがイッソス湾まで到達すれば、地中海に残っているファルナバズスのペルシア艦隊の援護を受けることができるため、アレクサンドロスはペルシア軍に先んじてイッソス湾沿岸を占領するため、パルメニオン率いる一隊を差し向けた。11月に入り、アレクサンドロスはペルシアの大軍がシリアに入り、ソコイにいるとの情報に接し、軍勢を集結させて、イッソスからシリア門を抜けて南に進軍することにした。
ダレイオスはパルメニオンがシリア門を制圧したことを知っており、アマノス門を通って北からイッソスに向かうことにした。ペルシア軍はイッソスを抵抗なしに占領し、その地に残されていたマケドニア軍の全傷病兵の腕を切り落とした。ダレイオスはマケドニア軍の背後を遮断し、海岸沿いの狭い平地に布陣して北上してくるマケドニア軍を待ち受けた。
両軍の兵力
現代の歴史家の推定では、ペルシア軍は総勢約10万で、歩兵に加えて、1万1千の騎兵、1万の不死隊、1万のギリシア傭兵を擁していた。 マケドニア軍は、ギリシアの同盟軍を加えても4万に満たなかったとされる。ある推定では2万2千の重装歩兵、1万3千の軽装歩兵、6千の騎兵である。
戦闘
ペルシア軍は、右翼と左翼に騎兵、中央にダレイオス率いるギリシア傭兵(ファランクス)・不死隊・近衛騎兵を配した。
これに対しマケドニア軍は、左翼にテッサリア騎兵、中央にパルメニオンの率いる重装歩兵(ファランクス)、右翼にアレクサンドロス率いる重装騎兵(ヘタイロイ)が布陣した。
まずペルシア軍の騎兵が川を渡ってパルメニオンの部隊に襲い掛かり、戦闘が始まった。
アレクサンドロスの左翼は二年後のガウガメラの戦い同様戦闘の焦点となった。パルメニオンが数で優勢なペルシア軍の攻勢を支え、その間にアレクサンドロスは前進し敵騎兵を撃破すると、すかさず敵中央部隊を包囲するように攻撃した。まず、アレクサンドロスの率いる精鋭歩兵部隊は川を渡って攻撃し、ペルシア軍戦線に裂け目を作り出す役目を担った。
アレクサンドロス自身に攻撃され、ダレイオスは戦場から逃走した。アレクサンドロスは休むことなく、敵右翼の背後にまわりこみ、これを攻撃した。ペルシア軍は5万もの死者を出した上に王が逃走したため、全面退却した。マケドニア騎兵は夜になるまで追撃を続け、ばらばらになって敗走するペルシア軍を掃討した。
戦後
イッソスの戦いはマケドニア軍の決定的勝利となり、ペルシアの滅亡の序曲となった。王自ら率いるペルシア軍が敗れたのはこれが初めてであった。