イエスタデイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Single

イエスタデイ 」 ("Yesterday")はイギリスロックバンドビートルズの楽曲である。

解説

概要

本作は1965年8月6日に発売された5枚目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム4人はアイドル』のB面6曲目に収録された。レノン=マッカートニーの作。実質的にはポール・マッカートニーの作品とされる。リード・ヴォーカルはポール。

ビートルズが初めて弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラードとして発表した曲であり、数あるビートルズ・ナンバーの中でも人気の高い作品のひとつである。世界中のミュージシャンに繰り返しカヴァーされており、ビートルズ活動中の時点で既に1,000を超えるカヴァー・ヴァージョンが存在した。現在では正確な数が確認困難である。世界で最も多くカヴァーされた曲としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。英国BBC4が2012年に放送したドキュメンタリー番組 「ザ・リッチエスト・ソングス・イン・ザ・ワールド」の中で、音楽史上最も稼いだ10曲を選出し、イエスタデイが4位にランクインしている[1]1999年の英国BBCラジオ2の世論調査で、20世紀の最高のベストソングに選ばれ、翌2000年には、ローリングストーンとMTV共同のグレイテスト・ポップソング100の1位に選ばれた[2]

またローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では13位にランクされている。「ロックバンドがスリーコードやロックンロールのメロディにとらわれない作曲を行なった」という点や、「ロックバンドがストリングスを使用した」といった点で高く評価された。こうした試み自体はビートルズ以前にも例はあったが、当時ロック界の頂点にあったビートルズが行ったことで、彼らに対する世間の評価は変化し、次第にアーティスト集団として見られるようになっていった。この曲は、現在では「ヘイ・ジュード」とともに日本の音楽の教科書に教材として採用されている。

作詞・作曲の経緯

ポールは、この曲が出来た経緯について「就寝中に夢の中でメロディが浮かび、あわててコードを探してスタジオで完成させた」と答えている。また「あまりにも自然に浮かんできたものだから、別の誰かの曲のメロディなんじゃないかと思って、みんなに聞かせて回ったけど、誰もこのメロディを知らないみたいだったから、僕のオリジナル曲だと認識した」とも述べている。

ジョン・レノンは、『イエスタデイ』でついて、「もちろん、あれはポールの歌で、ポールの秘蔵っ子さ。よくできてるよ。ビューティフルだよ。でも、僕が作っときゃよかったとは、1度も思ったことはないね」と語っている[3]。就寝中(朝食前)にメロディが浮かんだので朝食のイメージから作曲当初に付けた "Scrambled Eggs,oh my baby how I love your legs?" (歌詞の一節を取ってタイトルは"Scrambled Eggs")という歌詞を約2週間後に現行の歌詞へと書き直し、歌詞の一節を取ってタイトルを "Yesterday" とした(※ポールは歌詞の一節を取ってタイトルとする場合がほとんどである)。歌詞の内容から「自分の元を去った恋人を想う歌」と考えられていたが、後にポールは「僕が14歳の時に乳癌で死去した母への想いを歌った曲である」と述べている。なおポールの母であるメアリー・パトリシア・モーヒン(1909年9月29日-1956年10月31日)は満47歳で、実子の成功を知らずに死去している。

編曲

弦楽四重奏のアレンジは、プロデューサーのジョージ・マーティンによるものである。ポールは最初、ストリングスのアレンジを「マントヴァーニみたいなことはお断りだ」と拒否していたが、「ではカルテットでどうか?」というマーティンの提案に賛成して完成された。2度目のサビで第1フレーズと第2フレーズの間にチェロが「ミーソーファミ」と奏するアレンジと、第3コーラスでヴァイオリンが非常に高い持続音を奏するアレンジはポールのアイデアによるものである。アコースティック・ギターヴォーカルを担当したポール以外、他のビートルズのメンバーはレコーディングに参加していない。ポールは、ギターのチューニングを全弦1音下げでレコーディング。2テイクだけ録音され、第2テイクが採用された。

レコーディングで共演した弦楽四重奏団は既成のカルテットではなく臨時編成によるものでメンバーは以下の通りである。

  • トニー・ギルバート(第1ヴァイオリン
  • シドニー・サックス(第2ヴァイオリン)
  • ケネス・エセックス(ヴィオラ
  • フランシスコ・ガバーロ(チェロ

なおこの曲は、ビートルズのコンサートでは(多くの場合)ビートルズ全員で演奏され、ポールがリード・ヴォーカルとベースを担当したり、稀にオルガンで伴奏することもあった。レコードに倣ってポールがひとりでアコースティック・ギターで弾き語りしたこともある。

エピソード

1966年6月30日から7月2日にかけて、日本武道館公演において「イエスタデイ」も演奏された。ポールが曲を歌いだすと、突然今まで彼らに向けられていた歓声が止んだ。ビートルズの公演では異例なことで、ジョンも「突然クラシックコンサートのステージに立ったみたいで、緊張した」と驚いていた。ポールも「日本のファンは、マナーを守って僕らの曲を聴いてくれるので好感が持てる。親日家になったきっかけだ」と話していた。

アントニオ・カルロス・ジョビンは生前、『イエスタデイ』に次ぐヒット記録を『イパネマの娘』が達成した、と聞かされると、「ビートルズは4人だが、僕は一人なんだよ」と笑って答えていたという。もっとも、『イパネマの娘』がジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスの共作なのに対し、『イエスタデイ』は現実にはポール・マッカートニー単独による作詞・作曲で、オリジナルの録音もマッカートニーのソロ歌唱にスタジオミュージシャンのバッキングを合わせた、ビートルズ作品とは名ばかりのマッカートニー一人の作品だった。

2013年の来日公演では「福島被災者に捧げたい」と前置きし披露している[4]

ポールは、本作をそのキャリアを通じてライヴの定番としている。2001年頃のインタヴューで「いつもいつも『イエスタデイ』を求められて嫌にならないか?」と問われ、「例えばローリング・ストーンズのライヴに行って『サティスファクション』が演奏されなかったら、『金返せ』って思うよね?」と返答している。

ちなみに、ポールはウイングス時代、出だしのフレーズやコード進行も同じアンサーソング「トゥモロウ」(Tomorrow)を作りアルバム『ワイルド・ライフ』に収録している。

ミキシング

モノラル・ミックスはステレオ・ヴァージョンに比較し全体的にエコーが抑えられているが、1番の"something wrong, now I long"の箇所にのみステレオ・ヴァージョン以上に深いエコーがかけられている。

サビの部分でビートルズ得意のダブル・トラック風に聴こえるが、スタジオ内のモニター用スピーカーからの音でダブル・トラックではない。1987年のCD化の際にリミックスされ、ポールのヴォーカルとギター、ストリングスの演奏を完全に左右に振り分けた。

シングル盤

「イエスタデイ」のシングル盤は1965年9月13日アメリカで発売された。本作は英国では8月6日にアルバム『4人はアイドル』において発表済みではあったが、米国キャピトル編集盤 『ヘルプ(四人はアイドル)』(1965年8月13日発売)には「イエスタデイ」は収録されなかった。そのため米国では新曲扱いのシングル盤となっていた。ビルボード4週連続1位、キャッシュボックス誌では3週連続第1位を獲得。アメリカでは100万枚以上のセールスを記録している。B面は「アクト・ナチュラリー」。英国以外のヨーロッパ圏各国では「ディジー・ミス・リジー」のB面としてシングルカットされている。日本でもアメリカと同じカップリングのシングル盤はリリースされたが、「アクト・ナチュラリー」がA面であった。

イギリスではビートルズの活動中にはシングル・カットはなされなかった。ただし4曲入りEP『イエスタデイ』においてカット発売され、他国への輸出専用盤として上記の「ディジー・ミス・リジー/イエスタデイ」のシングル盤が製造されている。ビートルズ解散後の1976年3月8日、「恋する二人」をB面にして英国内販売用にもシングル・カットされた。なお日本ではこちらのシングル盤も発売されている。

収録盤

ビートルズ・オリジナル

ポール・マッカートニーによるセルフ・カヴァー

イエスタデイをカヴァーしたアーティスト

イギリスでは、マット・モンローのヴァージョンが全英8位、マリアンヌ・フェイスフルのヴァージョンが全英36位をそれぞれ記録している。1967年にはレイ・チャールズのヴァージョンもシングル・リリースされ、ビルボード誌では最高25位、全英最高44位をそれぞれ記録している。

その他、イエスタデイをカヴァーした有名なアーティストは、エルヴィス・プレスリーや、フランク・シナトラ、ザ・スプリームスボブ・ディランマーヴィン・ゲイマイケル・ボルトンケイティ・ペリー 等々、 音楽 ジャンルを問わず今でもカバーされ続けてる。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:ビートルズのシングル テンプレート:選抜高等学校野球大会入場行進曲

テンプレート:Link GA

テンプレート:Link GA
  1. www.barks.jp/news/?id=1000086165
  2. www.rockonthenet.com/archive/2000/rsmtv100.htm
  3. 『PLAYBOYインタビュー ジョン・レノン』、1981年 集英社(94頁)
  4. ポール 71歳東京ドーム公演最年長 福島に捧げる「YESTERDAY」、中日スポーツ - 2013年11月22日閲覧