アウグスト・プフィッツマイアー

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アウグスト・プフィッツマイアー(アウグスト・フィッツマイヤー) (August Pfizmaier, 1808年3月16日 カールスバートカルロヴィ・ヴァリ) - 1887年5月18日)はオーストリア東洋学者。ヨーロッパにおける万葉集研究の開拓者。

1835年にプラハで医学の学位を取得してカールスバートの湯治場の医師をしていたが、1838年からウィーンに定住して諸言語を学んだ。1843年からウィーン大学で諸言語・文学の講師を務めた。1878年からオーストリア学士院会員に選ばれ、中国・日本の歴史・宗教・文学・生物に関する約180篇の論考を発表した。

1872年発表の「Beiträge zur Kenntnis der ältesten japanischen Poesie」は、万葉集の200首余りを訳出したものであり、ヨーロッパにおける万葉集研究の開拓的存在だといわれる。

著書

  • Sechswandschirme in Gestalten der vergänglichen Welt (1847年)
  • Grammaire Turque (1847年)
  • Untersuchungen über den Bau der Aino-Sprache (1851年)
  • Die poetischen Ausdrücke der japanischen Sprache (1873年-1874年)
  • Die Geschichte der Mongolenangriffe auf Japan (1872年)
  • Der Feldzug der Japaner gegen Corea im Jahre 1597 (1875年-1876年)
  • Die älteren Reisen nach dem Osten Japans (1880年)
  • Untersuchungen über Ainu-Gegenstande : Durchsicht der Aino Flora in : Sitzungsberichte der Akademie zu Wien (1883年) [1]

外部リンク