佐藤充
テンプレート:Otheruseslist テンプレート:Infobox baseball player 佐藤 充(さとう みつる、1978年4月29日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。埼玉県坂戸市出身。夫人は元中部日本放送アナウンサーの占部沙矢香(現在は同社広報部所属)。
2014年現在は中日ドラゴンズの球団スカウトを務める[1]。
目次
来歴
プロ入り前
埼玉県立坂戸西高等学校では三年夏の県大会五回戦で敗退。高校卒業後は指導者養成で定評のある首都大学連盟加盟の古豪日本体育大学に進む。野球部ではアマチュア日本代表に選ばれた。テンプレート:Byの首都大学野球リーグベストナイン(投手)に選出され受賞。通算成績は38試合登板し18勝4敗、防御率1.41。大学卒業後は日本生命に入社。テンプレート:Byの第29回社会人野球日本選手権大会では日本生命の優勝に貢献して最優秀選手を受賞した。翌2003年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4巡目指名[2]を受けて入団。
中日時代
2年目のテンプレート:Byにプロ初勝利を挙げる。テンプレート:Byはセ・パ交流戦で最多の5勝を挙げ、防御率0.91で投手タイトル二冠王に輝き[3]、日本生命賞をソフトバンクの松中信彦と共に受賞した[4]。球団タイ記録となる5試合連続完投勝利を記録(うち2回が完封)、6月の月間MVPも受賞。連勝は8まで伸ばし、前半戦は防御率1点台と圧倒的な数字を残し投手陣の柱として活躍した。しかし8月に連勝が止まると、これ以降5点台の防御率で1勝しか上積みできず、最後は3連敗で二桁勝利に届かないままシーズンを終えた。しかし2006年中日ドラゴンズ(落合博満監督)はリーグ優勝、開幕ダッシュ(連勝)の一因で、優勝に貢献したと言える選手であった。応援歌「優勝記念盤燃えよドラゴンズ2006」年版(カラオケ)にも佐藤の名前が歌詞に記載されている。
翌年以降は故障により登板機会が減少しテンプレート:By11月1日に球団から戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示された[5]。右肘の故障が完治していないことから12球団合同トライアウトの参加を見送り、日本生命のグラウンドで練習しながら入団テストの受験に備えた。
楽天時代
テンプレート:Byの春季キャンプで東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受け2月16日に育成選手として契約したが支配下選手登録されることなく、10月9日に二度目の戦力外通告を受け[6]、11月7日に自由契約公示された[7]。同年限りで現役を引退した。
引退後
テンプレート:Byからは古巣中日のスカウトとしてフロント入りした。
プレースタイル
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 入団後に右ひじを手術してひじに負担をかけないフォームを作る必要性を痛感、二軍の本拠地・ナゴヤ球場の動作解析室で川上憲伸らのフォームのビデオを徹底的に研究し、現在のひじを一度高く上げるフォームにたどり着いた。
持ち球はフォークとスライダー、投球比率は低いもののカーブやシュートも投げる。ランナーを出してからの粘り強い投球が特徴で、特にセットに入ってからの投球は安定感がある。また細身だがスタミナも抜群であり、典型的な先発完投型の投手といえる。
人物
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 愛称は、タレントのKABA.ちゃんに似ていることから「カバちゃん」。その為テレビやラジオの実況担当者や解説者からも彼が登場するたびに必ず「カバちゃん」と呼ばれている。各スポーツ紙でも彼の記事には必ずといっていいほど苗字の「佐藤」の前に「カバちゃん」という文字が大きく表記される。また、2006年6月21日には中日スポーツの一面で本物のKABA.ちゃんからのコメントが掲載され、「私も(佐藤が自分に)似ていると思っていた」と本人直々に似ていることを認められ、「一度会ってお話がしたい。今後の健闘を祈ります」とエールを贈られた。(この愛称は佐藤自身も気に入っていてまんざらでもない様子だったが、[8]最近は記者に対して「自分でも似てるとは思いますけど、オカマキャラというのはちょっと…」とこぼしたことから、現在中日スポーツでは佐藤に配慮して「カバちゃん」という表記を行なっていない。[9])
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 中日 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 4.0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.50 | 0.50 |
テンプレート:By2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 71 | 16.0 | 17 | 2 | 6 | 1 | 0 | 11 | 1 | 0 | 10 | 10 | 5.63 | 1.44 | |
テンプレート:By2 | 19 | 19 | 6 | 2 | 1 | 9 | 4 | 0 | 0 | .692 | 529 | 129.0 | 134 | 9 | 24 | 2 | 4 | 83 | 1 | 0 | 42 | 38 | 2.65 | 1.22 | |
テンプレート:By2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 19 | 4.1 | 6 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 4.15 | 1.85 | |
テンプレート:By2 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 169 | 40.2 | 47 | 4 | 7 | 0 | 0 | 23 | 1 | 0 | 20 | 20 | 4.43 | 1.33 | |
通算:5年 | 33 | 30 | 6 | 2 | 1 | 11 | 10 | 0 | 0 | .524 | 802 | 194.0 | 206 | 18 | 39 | 3 | 4 | 124 | 4 | 0 | 76 | 72 | 3.34 | 1.26 |
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表彰
記録
- 初登板:2004年5月3日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7回裏に救援登板・完了
- 初奪三振:同上、7回裏に野口祥順から
- 初先発・初勝利:2005年9月19日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、5回2失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2006年5月25日、対西武ライオンズ3回戦(ナゴヤドーム)
- 初安打:2005年9月19日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、5回表に江草仁貴から中前安打
- 初打点:2006年6月28日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、4回表に坂元弥太郎から投手前スクイズ
背番号
- 16 (2004年 - 2009年)
- 70 (2010年)
- 126 (2011年)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:中日ドラゴンズ2003年ドラフト指名選手- ↑ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21
- ↑ 2003年 新人選手選択会議(中日ドラゴンズ)
- ↑ 2006年度 交流戦 個人投手成績(規定投球回以上)
- ↑ 日本生命セ・パ交流戦 MVP決定のお知らせ
- ↑ 2010年度 自由契約選手
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2011年度 自由契約選手(育成選手)
- ↑ 2006年のナゴヤ球場における秋季キャンプ4日目において、観客席から「カバちゃんて呼ばれるのイヤなの?」といわれて、「イヤではない」というジェスチャーで返していた(2006年の秋季キャンプはナゴヤ球場でのグランド練習をファンが自由に見学することができるように、内野の観客席を開放していた)。
- ↑ 本人いわく、「ただ単に『カバ』と呼び捨てで呼ぶのはやめてほしい」とのこと(ファンの子供から「あ、カバだ!」とかよく言われてへこんでいるらしい)。