ヨハン・シュトラウス1世
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ヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauß I(Vater)、1804年3月14日 - 1849年9月25日)はオーストリアのウィーンで活躍した作曲家、指揮者、ヴァイオリニストである。ウィンナ・ワルツの基礎を築いたため、「ワルツの父」とも呼ばれる。遠祖はユダヤ系である。彼の名前をより正確に表現すると、Johann Baptist Strauß である。
経歴
- 1804年:ウィーンに生まれる
- 1823年:ヨーゼフ・ランナーの楽団に入団。
- 1827年:楽団を退団。自ら、管弦楽団を結成する。
- 以後、宮廷の貴族らに音楽を演奏した。
- 1849年:ウィーンで死去。(墓所はウィーン中央墓地にある)
2世との関係
長男・ヨハンが作曲家になることに父親である1世は反対するが、止めることはできなかった。やがて、自らの管弦楽団と対立するようになる。
系図
- 長男:ヨハン(後に2世)
- 次男:ヨーゼフ(ヨハンに続いて、作曲家となる。)
- 三男:フェルディナント(生後間もなく死去。そのためエドゥアルトが三男とみなされることが多い。)
- 四男:エドゥアルト(シュトラウス一家の四男。作曲家)
作品
ワルツ
- 小鳩のワルツ(Täuberln-Walzer) Op.1
- パガニーニ風ワルツ(Walzer a la Paganini)Op.11
- うぐいすのワルツ(Philomelen-Walzer)Op.82
- パリ(Paris)Op.101
- ローレライ=ラインの調べ(Loreley-Rhein-Klänge) Op.154
ギャロップ
- ため息ギャロップ(Seufzer-Galoppe)Op.9
- 中国人のギャロップ(Chineser-Galoppe)Op.20
- 入場ギャロップ(Einzugs-Galopp)Op.35
- シュペール・ギャロップ(Sperl-Galopp)Op.42
- 旅行ギャロップ(Reise-Galopp)Op.85
- 舞踏会の夜のギャロップ(Ballnacht-Galopp)Op.86
- 若人の情熱(Jugendfeuer)Op.90
- カチューシャ・ギャロップ(Cachucha-Galopp)Op.97
- ヴェルサイユ・ギャロップ(Versailler Galopp)Op.107
- ジプシー・ギャロップ(Gitana-Galopp)Op.108
- インド人のギャロップ(Indianer-Galopp)Op.111
- リストのモチーフによる狂乱のギャロップ(Furioso-Galopp nach Liszt's Motiven)Op.114
ポルカ
- シュペール・ポルカ(Beliebte Sperl-Polka)Op.133
- マリアンカ・ポルカ(Marianka-Polka)Op.173
- アイゼレとバイゼレ(Eisele und Beisele) Op. 202
- ピーフケとプーフケ(Piefke und Pufka)Op.235
- アリス・ポルカ(Alice-Polka)Op.238
- フレデリーカ・ポルカ(Frederica-Polka)Op.239
- エクゼター・ポルカ(Exeter-Polka)Op.249
コティヨン
- フラ・ディアボロ・コティヨン(Fra Diavolo-Cotillons)Op.41
カドリーユ
- 祝典カドリーユ(Jubel-Quadrille)Op.130
幻想曲
- エルンストの思い出 またはベネチアの謝肉祭(Erinnerung an Ernst oder: Der Carneval in Venedig)Op.126
行進曲
- ラデツキー行進曲(Radetzky-Marsch) Op. 228