トルーマン・カポーティ
トルーマン・ガルシア・カポーティ(Truman Garcia Capote, 1924年9月30日 - 1984年8月25日)は、アメリカの小説家。
略歴
1924年 ルイジアナ州ニューオリンズで、父アーチ・パーソンズ、母リリー・メイ・フォークの息子として生まれた。出生時の名前はトルーマン・ストレックファス・パーソンズ(Truman Streckfus Persons)。両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマなどアメリカ南部の各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育った。その中には高齢者同士の孤立世帯や精神障害をもつ高齢者もあり、その当時の思い出は、『誕生日の子どもたち』という短編集に収められている。引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した。母親は後年ジョゼフ・ガルシア・カポーティと再婚し、その後自殺した。
彼はアラバマ在住当時、後年の女流作家ハーパー・リーと幼なじみで、リーの代表作『アラバマ物語』中の登場人物ディルは彼がモデルである。ちなみにこの作品は、映画化されてよく知られたものになり、原作自体も学校の教材として取り上げられることも多い。
17歳で「ザ・ニューヨーカー」誌のスタッフになる。
19歳の時に掲載された最初の作品『ミリアム』でオー・ヘンリー賞を受賞し、「アンファン・テリブル(恐るべき子供)」と評される。
23歳で初めての長編『遠い声 遠い部屋』を出版し、若き天才作家として注目を浴びた。その後は中編『ティファニーで朝食を』が映画化されヒットするなど、1作ごとに華やかな話題をふりまき映画にも出演し、ノーマン・メイラーとともに作家としては珍しくゴシップ欄の常連になるなど、公私の両面で話題を振りまいた。
1966年に発表した『冷血』では、実際に起きた一家殺人事件を題材にすることにより、ノンフィクション・ノベルという新たなジャンルを切り開いた。
晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ、テレビで不可解な発言を行うなど奇行が目立ち始め、執筆活動も『冷血』以降は長編を一度も書き上げることがなく公私共に没落していく。遺作となった長編『叶えられた祈り』で事実を交えたかたちで上流社会の頽廃を描いたことにより、彼が懇意にされていたセレブリティからの反発を招き、作品も未完に終わった。
1984年8月25日にカリフォルニア州ロサンゼルスの友人ジョーン・カーソンのマンションで心臓発作で急死し、カリフォルニア州ウェストウッドのウェストウッド・メモリアルパーク墓地に埋葬された。
その他
ちなみに彼は1957年にマーロン・ブランドが日本で映画を撮影していた時、ブランドに会見をするために来日を果たしている。その際に三島由紀夫とも会っており、後に彼は三島を「おもしろい人であった反面、大変傷つきやすい人であった。」と評している。
1976年公開の映画『名探偵登場』に出演している。
2005年、彼が犯罪ノンフィクション『冷血』を書き上げるまでを映画化した『カポーティ』が公開された。 アカデミー賞5部門にノミネートされ、フィリップ・シーモア・ホフマンが主演男優賞を受賞した。
主な作品
- 『真夏の航海』 Summer Crossing(執筆は1940年代と推定、出版は2005年)
- 『ミリアム』 Miriam(1943年)
- 『遠い声 遠い部屋』 Other Voices, Other Rooms(1948年)
- 『夜の樹』 A Tree of Night(短篇集、1949年)
- 『草の竪琴』 The Grass Harp(1951年)映画化名『グラスハープ 草の竪琴』
- 『わが家は花ざかり』 House of Flowers(ミュージカル。オリジナル戯曲と作詞、1954年)
- 『詩神の声聞こゆ』 The Muses Are Heard(ノンフィクション、1956年)
- 『クリスマスの思い出』 A Christmas Memory(1956年)
- 『ティファニーで朝食を』 Breakfast at Tiffany's(1958年)
- 『冷血』 In Cold Blood(ノンフィクション、1966年)
- 『カメレオンのための音楽』 Music for Chameleons(短篇集、1980年)
- 『叶えられた祈り』 Answered Prayers(未完、1986年出版)
関連項目
外部リンク
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