企業城下町
企業城下町(きぎょうじょうかまち)とは、特定の一社の企業の事業所や工場及び関連会社の工場や下請け子会社などが一自治体における産業の大部分を占め、その企業によって住民が主たる労働機会を与えられることで、その企業の盛衰が都市の盛衰に直結するような都市を指す言葉。一般的な俗語と思われがちだが、経済学や地理学でも一般に用いられる学術的な専門用語でもある。
概要
企業城下町とは「企業の(形成した)城下町」、すなわち、独特の階層化を生んだ都市形態を城下町の階級、組織に準えた語である。高度経済成長期には鉄鋼、造船、化学など重化学工業の発展が著しくなった。しかしながら、過密化した都市部では既に敷地の確保が困難であり、加えて地価の高騰、または公害問題の顕在化による様々な規制などによって、新たな工場立地が困難となっていた。一方、地方が莫大な固定資産税確保をにらんで、企業、工場の誘致活動を起こしていた。その結果、企業と自治体の思惑が一致し、全国に大工場を持つ地方工業都市が幾つも誕生することになった。また、旭化成の延岡市やトヨタ自動車の豊田市などのように地方に優秀な企業が発生し、高度経済成長期による工業の発達に伴い、同市の経済基盤を拡大させたケースもある。
過去に挙母市→豊田市のように、市名や町名に民間企業の名を冠するよう変更した例もある。また「鋼管町」(日本鋼管、現JFEスチール)、千葉市や半田市の「川崎町」(川崎製鉄、現JFEスチール)、山口県小野田市(現山陽小野田市)のセメント町・硫酸町のように企業に関連する特殊な地名が誕生することもある。
これによる社会問題や経済効果など様々な変化が学者の研究対象となった。その際、一企業が都市の盛衰に直結するほど緊密な関係を持った都市に対して、固有の呼称の必要性が生じたことから、経済学者の宮本憲一が「企業城下町」という言葉を自己の文献、論文に用いたことが発端とされる。その後、マスコミらにもその表現が使われ、一般に広まった。企業城下町における一企業の影響力は経済だけでなく、政治力にまで及び、自治体によっては議会議員にその企業関係者が多くを占める場合もあり、企業の社長が首長をも務めたケースすらある。
一方、1970年代に入って炭鉱都市、1980年代には造船や鉄鋼業などが斜陽産業となると、当該都市の衰退は顕著になった。しかし、一企業と命運を供にするような一都市の衰退が、研究者たちの格好の研究材料となった。むしろ、企業城下町には、経済効果のようなプラス面より、こういった一企業の業績や行動によって市政や市経済、あるいは住環境を左右されてしまうようなマイナス面が表に出されている語であり、皮肉的、批判的なニュアンスを含んでいる。
一般に勘違いされやすいのが、その地方に有名な企業の本社ビルが立地しているだけで企業城下町と捉えられてしまうことである。本社ビルはあくまでも「登記上で必要とされるために建設されるオフィス」にしかすぎない。必ずしも東京都や大阪府などの都市部に位置する必要はなく、法律上ではどこに位置してもかまわないこともあり、地域への人、物、金の還元に直接関与しがたいからである。
また、第三次産業においても親会社の事務所のそばに子会社、関連会社が配置されることがあるが、第二次産業に比べて、大手/下請けの階層化が発生しにくいため、このような市街形成はまれである[1]。また、当時は単一企業や炭鉱などの財政などによって支えられていた都市が、後に都市圏拡大によって住宅地が展開すると、本来の企業城下町としての特色を持たなくなる場合もある。
グローバル資本主義以降は、海外移転をする企業が増え、空洞化する企業城下町が増えた。