辰鼓櫓
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辰鼓楼(しんころう)は兵庫県豊岡市出石の出石総合支所敷地(旧出石町役場、旧弘道小学校敷地)に現存する明治時代初期の時計台。豊岡市出石伝統的建造物群保存地区を代表する建造物である。辰鼓櫓と表記されることも多いが、「しんころう」は櫓ではなく楼閣である。
辰鼓楼のなりたち
櫓本体は1871年(明治4年)完成。辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く櫓であった。旧藩医の蘭方医、池口忠恕が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛けをした。忠恕は回復後、病気中出石の人々に多大な精神的支援を受けた感謝の意思を形にしたいとして、時計技師2名を招くとともにオランダ製の機械式大時計を取り寄せ寄贈した。これによって1881年(明治14年)より現在の姿の時計台となった。以後、弘道小学校では機械式時計の錘(おもり)を掛け替えるのが児童の大事な役割となった。現在は時計本体は入れ替えられている。
日本最古の時計台
日本最古の時計台とされることが多いが、時計台となったのは1881年(明治14年)であり、1878年(明治11年)完成の札幌農学校演武場に時計塔(札幌の時計台)が設置されたのも1881年である。いずれが古いかははっきりしない。しかし、建物から独立した洋式時計台、一般市民が時刻を共有するための洋式時計台、国以外が設置した洋式時計台としてはこれより古いものは知られていない。