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川上忠克(かわかみ ただかつ、永正4年(1507年) - 文禄元年(1592年))は島津氏の家臣。川上栄久の子。川上久朗の父。通称は源三郎、又九郎。入道して「意釣」。官位は上野介。
島津氏の庶流川上氏の一族で、兄の道堯が病身であったために家督を継ぎ、祖父以来の領地である串木野の30町を領した。最初、天文年間頃は薩州島津氏の島津実久に仕えていた。しかし、実久が島津貴久と争って没落すると貴久に降伏した。貴久にこのとき、甑島に流刑に処されたが、3年後に罪を許されて島津氏の家老となった。テンプレート:Asboxテンプレート:Japanese-history-stub