無線電信法

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無線電信法(むせんでんしんほう)は無線通信の利用について規定していた法律である。 電信法(制定当初は有線通信が対象であったが、無線通信が実用化されると準用されていた。)から独立する形で成立した。

概要

制定まで

日本では、無線通信はあくまでも有線通信の補助手段という考えであった。 しかし、1914年にロンドンで締結された海上人命安全条約には船舶との通信のために無線通信が重要であるという考えが表れた。 これにあわせて1915年(大正4年)に本法が制定された。 電信法では電気通信は専ら官設とされたが、本法においては、無線電信及び無線電話は官設が原則であるが、主務大臣(逓信大臣)の許可を得て私設できるとされた。

注 この「無線電信」及び「無線電話」という用語は技術を指すのではなく装置や設備、電波法にいう無線設備のことである。

変遷

制定当時は第一次世界大戦のさなかということもあり、船舶の所有者は無線電信を急いで整備した。 あわせて、私設無線電信通信従事者資格検定規則も制定され、私設無線電信通信従事者が制度化された。

1931年(昭和6年)には、無線通信士検定規則が制定され無線通信士が制度化された。 従前の私設無線電信通信従事者は無線通信士とみなされた。

1940年(昭和15年)には、電気通信技術者検定規則が制定され、電気通信技術者が制度化された。 電気通信技術者の一部は無線技術士(現陸上無線技術士)の前身である。

なお、上記の資格はすべて私設局を操作する為のものであり、官設局の操作は官員(国家公務員に相当)であるので資格不要 [1] であった。

また、余談となるが条文中に「無線局」、「電波」という文言は無かった。

注 一般にも放送局ラジオ局などの言葉は膾炙していたが、法令上の用語ではなく通称である。

廃止へ

1946年(昭和21年)GHQの民間通信局(CCS)は、新しく公布される日本国憲法に沿った民主的な法律に改正するよう要求した。 逓信省は、当初は本法を改正しようとしたがむしろ新しい法律を制定することにした。 翌1947年(昭和22年)には、CCSは連邦通信委員会(FCC)にならった委員会行政を取り入れよともした。 以後電波法放送法電波監理委員会設置法と後に電波三法と呼ばれる形で法律案が作成された。 紆余曲折を経て、電波三法が施行されたのは1950年(昭和25年)6月1日[2]で、電波法附則第2項により本法は廃止された。

参考項目

外部リンク

脚注

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  1. 但し、逓信官吏練習所で教育を受けた者が奉職していた。
  2. 電波が政府の独占から離れて民間に開放されたこの日は記念日電波の日」となっている