ジョン・メージャー

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テンプレート:政治家 サー・ジョン・メージャーSir John Roy Major KG, CH, ACIB、1943年3月29日 - )は、イギリス政治家

英国首相(第72代)、保守党党首(第14代)、庶民院(下院)議員を歴任。

人物

サーカスのブランコ乗り(団長という説もある)の父親の長男として生まれ、高校中退後様々な職業(時には失業も経験)を経験した後、スタンダードチャータード銀行に入行、銀行マンとして成功を収めた後、政界入りした。

約12年の長きにわたってイギリスを指導したマーガレット・サッチャーの後継者として、党首選で対立候補のマイケル・ヘーゼルタイン元国防相を破って、首相に就任。戦後の保守党の首相としては異色の経歴であった。

首相在任時

政策面でもマーガレット・サッチャーの構造改革を引き継ぎ、公共施設の建設や運営を民間に委ねる政策を打ち出した。この政策に基づき1992年にプライベート・ファイナンス・イニシアティブ (PFI) と呼ばれる政策手法を実施した。

現在ではこの政策方法は英国のみには留まらず、米国や日本といった世界の国々で構造改革の手法として実施されている。

退陣とその後

1997年の総選挙で歴史的大敗を喫し退陣。サッチャー首相以来18年に及んだ保守党長期政権は終わりを告げ、その後は好景気を背景に労働党ブレア政権が3期続けて政権を担当した。

メージャー自身は1997年に保守党党首をウィリアム・ヘイグに譲ったが、2001年の総選挙で引退するまで下院議員にとどまった。2002年には、首相時代に女性議員エドウィナ・カリーと4年間に渡って不倫関係にあったことが判明。実直なイメージがあっただけに、このような話が退陣後に暴露されたことは、英国民やメディアを騒がせた。

2012年4月29日付をもって日本政府から旭日大綬章が伝達された(平成24年度春季叙勲における外国人受章者はメージャーを含め5人)。

備考

  • メージャーが党首選挙に出た際には、彼が当選するとはマスコミは考えず報道もほとんど行われなかった。ところが、ブックメーカーにおける党首選挙の勝者予想において彼が有力候補者とほぼ横並びの第3位の賭け率設定が行われ、世間を驚かせた。メージャーの当選後、ある人がブックメーカーの担当者になぜ、誰も注目していなかった彼に注目したのか尋ねた。すると、担当者は「金が懸っていれば、他人より真剣に考えるものさ」と答えたと言う[1]

脚注

  1. 本村凌二「ギャンブル」(『歴史学事典 2 からだとくらし』(弘文堂、1994年) ISBN 978-4-335-21032-7)

外部リンク

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