高麗葬
高麗葬(こうらいそう、コリョジャン)は、朝鮮の高麗時代(または古代社会)に存在したとされる、老境極まって働けなくなった老人を山に捨てる風習、または墓に生きたまま閉じ込めて葬ることである。東洋学者ウィリアム・グリフィスの『隠者の国・朝鮮』で初めて広く紹介された[1]。
高麗塚、高麗山、高麗谷、高麗墳とも言う。
概要
グリフィスは、高麗葬とは、日本でも17世紀頃まではあって朝鮮(19世紀末)では依然として続けらている「老人を生きたまま埋めてしまう習慣」[1]で人身御供の迷信の類であるとして紹介していた。これは高句麗の時代に大きな墓を作って墓室に老境極まって小児にようになった老人を入れて命が断えるまで中で生活できるよう食料と共に封じ、死後は副葬品を足してそのまま葬ったという話[2]をやや省略して伝えたもので、高麗塚や高麗墳とも呼ばれたのはこのためである。その後、生きたまま葬るから、老いて働けなくなった親や認知症の親を山に運んで一定期間の食料とともに置いてくる慣習に変わって、高麗葬と呼ばれるようになったという。捨てた場所により高麗山や高麗谷などとも呼ばれたわけである。ただし高麗の名前がついているが、コリアと同じ程度の意味で、必ずしも高麗王朝と関係があるわけではない。
現在の韓国でも、高麗葬は「衰弱した親を見慣れぬ場所に遺棄する行為」[3]を意味し、所謂、日本語の「姥捨て」に相当する言葉である。現代で実際に起きた事件は「新高麗葬」として報道された。
老父母を山に捨てる行為が葬儀風習として実在したかは議論があるところだが、韓国では、これは孝を勧奨するために『雜宝蔵経』の棄老国説話と『孝子傳』の原穀を結合して作り出されたものであるという説がある。1919年に出された『傳説の朝鮮』には「不幸息子」という童話が収録され、1924年に朝鮮総督府で発行された『朝鮮童話集』には「親を捨てる男」という話が収録されているが、老いた親(前者は祖父、後者は祖母)を高麗葬して山に捨てた父を、子が諭すという内容であった。
山に捨てるのとは異なるが、朝鮮王朝実録には下記のように書かれている。
老人を山に捨てる風習が一般的なものとして実在したかどうか別にして、朝鮮半島はかなり貧しかったこともあり、貧困のために高齢の老父母を餓死させることはあったようで、15世紀に儒教が民衆にも普及してそれらを戒めるために、「孝」を推奨する説話が登場したという説には一定の説得力があり、高麗葬のもとなるお話が実在したのは事実のようである。
近代の韓国小説や映画に取り上げられる事もあった。金綺泳(キム・ギヨン[4])監督が1963年に映画『高麗葬[5][6]』としており、飢えに苦しむ大家族のなかで老いた後妻が死を迫られるという高麗葬の風習が登場する。ただし内容は血の繋がらない兄弟と後妻の子供が争うという復讐劇であった。また1978年に全商国が『高麗葬』と言う短編小説を書いた。これは『韓国現代短編小説』に収録されている。
反日
高麗葬は、日本の『うばすてやま』のお話とほぼ内容が同じであり、棄老伝説や道徳説話との関連が考えられるわけだが、なぜか韓国テレビ局MBCの番組『神秘なTVサプライズ』は、2011年、高麗葬は「多くの文化財が埋蔵されている墓を盗掘するため日本がねつ造した言い訳だ」という反日の論調でこれを伝え、「高麗葬が学者らの主張通りに、日本によるねつ造の歴史ならば、いち早く誤った歴史を正さなければならない」と放送した[7]。盗掘と結び付けた理由はよくわからない。高麗葬は韓国の百科事典や国語辞典に普通に載っている言葉である[8]。
脚注・出典
参考文献
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- 『韓国現代短編小説』 中上健次/編 安宇植/訳 新潮社 ISBN 4105182013
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- テンプレート:Citation(原書は1894年公刊)