天道流
天道流(てんどうりゅう)は、日本の古武道の流派。下河原恭長の系統の天流で、剣術を中心に長刀術(薙刀術)、鎖鎌術、杖術、小太刀術、二刀(小太刀での二刀)、短刀術を含む。現在は薙刀術を中心に指導されていることが多い。薙刀を捻りながら突く「乱」という技法が特徴。
歴史
江戸時代中期に、いくつかの系統に分かれていた天流を二系統にわたって学んだ日夏能忠が、丹波篠山藩主・松平康信に招かれたことにより形原松平家中に伝えられた。その後、日夏能忠の子の日夏繁高は武より文を志し江戸に出た[1]ため、下河原恭長が流儀を継承した。下河原恭長は天道流と改め、松平家の丹波亀山への転封により丹波亀山藩の剣術流派のひとつとなり、下河原家が藩の天道流剣術師範役を代々務めた。
幕末に当流を学び第14代となった美田村顕教が、明治後期から京都の大日本武徳会本部で天道流薙刀術を指導したため、京都府を中心に当流の薙刀術が広まった。また、顕教は小西酒造創業家の小西家の道場・修武館でも薙刀術を指導した。
美田村顕教より流儀を継承した美田村千代は、先代の顕教と同じく修武館で薙刀術を指導した。1941年(昭和16年)3月、大日本武徳会が学校教育用に「薙刀道基本動作」を制定しようとした際、千代はこれに反対し独自に「天道流薙刀術教員養成所 天道義塾」を創立し、終戦まで指導した。
また、太平洋戦争末期、空襲が熾烈になったことから、美田村一門に香淳皇后の身辺警護を命じられたという[2]。
戦後、千代は全日本なぎなた連盟設立に参加した。
その後、小西静子(全日本なぎなた連盟第2代会長・初代理事長)、河盛敬子(全日本なぎなた連盟第2代理事長・日本オリンピック委員会理事)らが中心となって修武館で指導された。現在は修武館を本部道場とし、日本古武道協会に加盟している。
第16代宗家・美田村武子の死後、約3年間、宗家不在であったが2013年(平成25年)3月、木村恭子が第17代宗家に就任した。
なお、流儀の読み方に関しては美田村家や修武館では「てんどうりゅう」と読んでいるが、阿部豊子から天道流を学んだという小佐野淳は「てんとうりゅう」と読むのが正しいと主張している。
脚注
参考文献
- 日本古武道協会 編『日本古武道総覧 平成九年度版』 島津書房 1989年
- 島田貞一 他編『日本武道体系』第7巻 同朋舎出版 1982年
- 綿谷雪・山田忠史 編『増補大改訂 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部 1978年
- 宮城県史編纂委員会 編『宮城県史』18 財団法人宮城県史刊行会 1959年