1970 FIFAワールドカップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月16日 (水) 19:50時点におけるLomocompact (トーク)による版 (Rudi Glockner → ルディ・グレックナー)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:国際サッカー大会情報ボックス 1970 FIFAワールドカップテンプレート:Lang-en-short)は、1970年5月31日から6月21日にかけて、メキシコで開催された第9回目のFIFAワールドカップである。欧州南米以外で初めての開催となった。

この大会でブラジルが3度目の優勝を飾り、規則により当時の「ジュール・リメ杯」の永劫所有権を獲得した。しかし、その後このカップは盗難にあってしまい、次の1974年西ドイツ大会からは、トロフィーの名称も現在の「FIFAワールドカップ」に変更された。なお、ジュール・リメ杯盗難事件では、犯人は逮捕・起訴され有罪となったが、カップは現在もなお行方知れずである。

予選大会

テンプレート:Main

出場国

出場選手は1970 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

大陸連盟 出場
枠数
予選大会
予選順位
出場国・地域 出場回数
CONCACAF 1+1 開催国 テンプレート:MEXf 6大会連続7回目
最終予選 1位 テンプレート:SLVf 初出場
UEFA 1+8 前回優勝国 テンプレート:ENGf 6大会連続6回目
欧州予選 1組 1位 テンプレート:ROU1965f 6大会ぶり4回目
2組 1位 テンプレート:TCHf 2大会ぶり6回目
3組 1位 テンプレート:ITAf 3大会連続7回目
4組 1位 テンプレート:URS1955f 4大会連続4回目
5組 1位 テンプレート:SWEf 3大会ぶり5回目
6組 1位 テンプレート:BELf 4大会ぶり5回目
7組 1位 テンプレート:FRGf 5大会連続7回目[1]
8組 1位 テンプレート:BUL1967f 3大会連続3回目
CONMEBOL 3 南米予選 1組 1位 テンプレート:PERf 8大会ぶり2回目
2組 1位 テンプレート:BRA1968f 9大会連続9回目
3組 1位 テンプレート:URUf 3大会連続6回目
CAF 1 最終予選 1位 テンプレート:MARf 初出場
AFC/OFC 1 最終予選 1位 テンプレート:ISRf 初出場

本大会

概要

前回大会と同じ開催方式で行われた。各地域予選を突破した16チームを4ヶ国ずつ4つのグループに分け、各グループの上位2チームとなった8チームが決勝トーナメントに進出する。

今大会では大きなターニングポイントとなる変更点がいくつか見られた。まず、史上初の高地での開催であることに加え、TVの国際生中継がヨーロッパのゴールデンタイムとなるよう試合時間が酷暑の日中に予定されたことで選手の激しい消耗を懸念したFIFAはプレーの中断時に限り水分の補給を認めた。また高地の薄い空気を考慮して毎試合2名までの選手交代も初めて認められた。 これらは今大会の暫定的な処置のみならず以降の大会でも踏襲されるようになる。前大会の目に余るラフプレーや疑惑の声が上がったジャッジの問題に関する反省から、それまでは口頭だった選手への警告や退場を目に見える形で提示すべくレッドカードイエローカードが導入されたのも今回からである。また、それまで真っ白か茶色だったFIFA公式のサッカーボールがTV中継での見易さを配慮して今大会から馴染み深い白と黒の亀甲模様の「テルスター (サッカー)」に変わった。

この大会は「ペレのための大会」であった。ペレは全ての試合で素晴らしいパフォーマンスを見せ、このときにMVP(ゴールデンボール賞)の制度があったとしたら受賞間違いなしといえるほどの活躍であった。また、ブラジル代表では、ジャイルジーニョロベルト・リベリーノトスタンジェルソンなど、他のチームであれば文句なしにエースであるメンバーがペレの周りを固めていた。ジャイルジーニョは点を取られてもあっという間に力ずくで取り返す圧倒的な攻撃力を見せ、全試合で得点という快挙を成し遂げた。ブラジルは、守備の面でも、若きキャプテンであるカルロス・アウベルト中心にまとまっていた。ブラジルは南米予選から本大会決勝まで引き分け無しの全勝での優勝であり、ワールドカップにおいてこの快挙を達成したのは今大会のブラジルのみである。ちなみに、決勝戦でのペレのゴールはワールドカップにおけるブラジル代表の100点目である。

その他、準決勝の西ドイツイタリア戦も「アステカの死闘」と呼ばれ名勝負として名高い。肩を脱臼したものの交代枠を使い切ってしまっていたために、腕をテーピングで固定してプレーし続けるフランツ・ベッケンバウアーの姿がこの試合の過酷さを象徴する[2]。しかし、イタリアはこの熱戦を制したものの、力を使い果たしたのか決勝ではブラジルに大敗を喫することとなる。

結果

グループリーグ

グループ 1


チーム







1 テンプレート:URS1955f 5 3 2 1 0 6 1 +5
2 テンプレート:MEXf 5 3 2 1 0 5 0 +5
3 テンプレート:BELf 2 3 1 0 2 4 5 -1
4 テンプレート:SLVf 0 3 0 0 3 0 9 -9

テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


グループ 2


チーム







1 テンプレート:ITAf 4 3 1 2 0 1 0 +1
2 テンプレート:URUf 3 3 1 1 1 2 1 +1
3 テンプレート:SWEf 3 3 1 1 1 2 2 0
4 テンプレート:ISRf 2 3 0 2 1 1 3 -2

テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


ウルグアイが得失点差でスウェーデンを上回り決勝トーナメント進出

グループ 3


チーム







1 テンプレート:BRA1968f 6 3 3 0 0 8 3 +5
2 テンプレート:ENGf 4 3 2 0 1 2 1 +1
3 テンプレート:ROU1965f 2 3 1 0 2 4 5 -1
4 テンプレート:TCHf 0 3 0 0 3 2 7 -5

テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


グループ 4


チーム







1 テンプレート:FRGf 6 3 3 0 0 10 4 +6
2 テンプレート:PERf 4 3 2 0 1 7 5 +2
3 テンプレート:BUL1967f 1 3 0 1 2 5 9 -4
4 テンプレート:MARf 1 3 0 1 2 2 6 -4

テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


決勝トーナメント

テンプレート:Round8-with third

準々決勝


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


準決勝


テンプレート:Footballbox


テンプレート:Footballbox


3位決定戦


テンプレート:Footballbox


決勝


テンプレート:Footballbox


優勝国

テンプレート:Winners

得点ランキング

順位 選手名 国籍 得点数
1 ゲルト・ミュラー テンプレート:FRGf 10
2 ジャイルジーニョ テンプレート:BRA1968f 7
3 テオフィロ・クビジャス テンプレート:PERf 5
4 ペレ テンプレート:BRA1968f 4
アナトリー・ブイショヴェツ テンプレート:URS1955f
6 リベリーノ テンプレート:BRA1968f 3
ウーヴェ・ゼーラー テンプレート:FRGf
ルイジ・リーヴァ テンプレート:ITAf

ベストイレブン

ポジション 選手名 国籍
GK ゴードン・バンクス テンプレート:ENGf
DF カルロス・アウベルト テンプレート:BRA1968f
ボビー・ムーア テンプレート:ENGf
フランツ・ベッケンバウアー テンプレート:FRGf
テリー・クーパー テンプレート:ENGf
MF ヴォルフガング・オフェラート テンプレート:FRGf
ジェルソン テンプレート:BRA1968f
ボビー・チャールトン テンプレート:ENGf
FW ジャイルジーニョ テンプレート:BRA1968f
ペレ テンプレート:BRA1968f
ゲルト・ミュラー テンプレート:FRGf

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Navbox
  1. 旧ドイツ時代を含む。
  2. ベッケンバウアー自身は、この試合以上の死闘として1982年スペイン大会準決勝西ドイツ対フランス戦を挙げている