1970 FIFAワールドカップ
テンプレート:国際サッカー大会情報ボックス 1970 FIFAワールドカップ(テンプレート:Lang-en-short)は、1970年5月31日から6月21日にかけて、メキシコで開催された第9回目のFIFAワールドカップである。欧州と南米以外で初めての開催となった。
この大会でブラジルが3度目の優勝を飾り、規則により当時の「ジュール・リメ杯」の永劫所有権を獲得した。しかし、その後このカップは盗難にあってしまい、次の1974年西ドイツ大会からは、トロフィーの名称も現在の「FIFAワールドカップ」に変更された。なお、ジュール・リメ杯盗難事件では、犯人は逮捕・起訴され有罪となったが、カップは現在もなお行方知れずである。
目次
予選大会
出場国
出場選手は1970 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 |
予選大会 | 組 予選順位 |
出場国・地域 | 出場回数 | |
---|---|---|---|---|---|---|
CONCACAF | 1+1 | 開催国 | テンプレート:MEXf | 6大会連続7回目 | ||
最終予選 | 1位 | テンプレート:SLVf | 初出場 | |||
UEFA | 1+8 | 前回優勝国 | テンプレート:ENGf | 6大会連続6回目 | ||
欧州予選 | 1組 | 1位 | テンプレート:ROU1965f | 6大会ぶり4回目 | ||
2組 | 1位 | テンプレート:TCHf | 2大会ぶり6回目 | |||
3組 | 1位 | テンプレート:ITAf | 3大会連続7回目 | |||
4組 | 1位 | テンプレート:URS1955f | 4大会連続4回目 | |||
5組 | 1位 | テンプレート:SWEf | 3大会ぶり5回目 | |||
6組 | 1位 | テンプレート:BELf | 4大会ぶり5回目 | |||
7組 | 1位 | テンプレート:FRGf | 5大会連続7回目[1] | |||
8組 | 1位 | テンプレート:BUL1967f | 3大会連続3回目 | |||
CONMEBOL | 3 | 南米予選 | 1組 | 1位 | テンプレート:PERf | 8大会ぶり2回目 |
2組 | 1位 | テンプレート:BRA1968f | 9大会連続9回目 | |||
3組 | 1位 | テンプレート:URUf | 3大会連続6回目 | |||
CAF | 1 | 最終予選 | 1位 | テンプレート:MARf | 初出場 | |
AFC/OFC | 1 | 最終予選 | 1位 | テンプレート:ISRf | 初出場 |
本大会
概要
前回大会と同じ開催方式で行われた。各地域予選を突破した16チームを4ヶ国ずつ4つのグループに分け、各グループの上位2チームとなった8チームが決勝トーナメントに進出する。
今大会では大きなターニングポイントとなる変更点がいくつか見られた。まず、史上初の高地での開催であることに加え、TVの国際生中継がヨーロッパのゴールデンタイムとなるよう試合時間が酷暑の日中に予定されたことで選手の激しい消耗を懸念したFIFAはプレーの中断時に限り水分の補給を認めた。また高地の薄い空気を考慮して毎試合2名までの選手交代も初めて認められた。 これらは今大会の暫定的な処置のみならず以降の大会でも踏襲されるようになる。前大会の目に余るラフプレーや疑惑の声が上がったジャッジの問題に関する反省から、それまでは口頭だった選手への警告や退場を目に見える形で提示すべくレッドカードとイエローカードが導入されたのも今回からである。また、それまで真っ白か茶色だったFIFA公式のサッカーボールがTV中継での見易さを配慮して今大会から馴染み深い白と黒の亀甲模様の「テルスター (サッカー)」に変わった。
この大会は「ペレのための大会」であった。ペレは全ての試合で素晴らしいパフォーマンスを見せ、このときにMVP(ゴールデンボール賞)の制度があったとしたら受賞間違いなしといえるほどの活躍であった。また、ブラジル代表では、ジャイルジーニョ、ロベルト・リベリーノ、トスタン、ジェルソンなど、他のチームであれば文句なしにエースであるメンバーがペレの周りを固めていた。ジャイルジーニョは点を取られてもあっという間に力ずくで取り返す圧倒的な攻撃力を見せ、全試合で得点という快挙を成し遂げた。ブラジルは、守備の面でも、若きキャプテンであるカルロス・アウベルト中心にまとまっていた。ブラジルは南米予選から本大会決勝まで引き分け無しの全勝での優勝であり、ワールドカップにおいてこの快挙を達成したのは今大会のブラジルのみである。ちなみに、決勝戦でのペレのゴールはワールドカップにおけるブラジル代表の100点目である。
その他、準決勝の西ドイツ対イタリア戦も「アステカの死闘」と呼ばれ名勝負として名高い。肩を脱臼したものの交代枠を使い切ってしまっていたために、腕をテーピングで固定してプレーし続けるフランツ・ベッケンバウアーの姿がこの試合の過酷さを象徴する[2]。しかし、イタリアはこの熱戦を制したものの、力を使い果たしたのか決勝ではブラジルに大敗を喫することとなる。
結果
グループリーグ
グループ 1
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:URS1955f | 5 | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 1 | +5 |
2 | テンプレート:MEXf | 5 | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | +5 |
3 | テンプレート:BELf | 2 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 5 | -1 |
4 | テンプレート:SLVf | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 | -9 |
グループ 2
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:ITAf | 4 | 3 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | +1 |
2 | テンプレート:URUf | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | +1 |
3 | テンプレート:SWEf | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 |
4 | テンプレート:ISRf | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 3 | -2 |
※ウルグアイが得失点差でスウェーデンを上回り決勝トーナメント進出
グループ 3
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:BRA1968f | 6 | 3 | 3 | 0 | 0 | 8 | 3 | +5 |
2 | テンプレート:ENGf | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | +1 |
3 | テンプレート:ROU1965f | 2 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 5 | -1 |
4 | テンプレート:TCHf | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 7 | -5 |
グループ 4
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:FRGf | 6 | 3 | 3 | 0 | 0 | 10 | 4 | +6 |
2 | テンプレート:PERf | 4 | 3 | 2 | 0 | 1 | 7 | 5 | +2 |
3 | テンプレート:BUL1967f | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 5 | 9 | -4 |
4 | テンプレート:MARf | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 6 | -4 |
決勝トーナメント
準々決勝
準決勝
3位決定戦
決勝
優勝国
得点ランキング
順位 | 選手名 | 国籍 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | ゲルト・ミュラー | テンプレート:FRGf | 10 |
2 | ジャイルジーニョ | テンプレート:BRA1968f | 7 |
3 | テオフィロ・クビジャス | テンプレート:PERf | 5 |
4 | ペレ | テンプレート:BRA1968f | 4 |
アナトリー・ブイショヴェツ | テンプレート:URS1955f | ||
6 | リベリーノ | テンプレート:BRA1968f | 3 |
ウーヴェ・ゼーラー | テンプレート:FRGf | ||
ルイジ・リーヴァ | テンプレート:ITAf |