手宮線

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|} 手宮線(てみやせん)は、北海道小樽市南小樽駅から同市内の手宮駅を結ぶ日本国有鉄道が運営した鉄道路線(貨物線)である。北海道で最初の鉄道開業区間の一部で、石炭や海産物の積み出しで賑わったが、1985年(昭和60年)11月5日に廃止となった[1]

路線データ(廃止時)

歴史

北海道では最初の鉄道[2]である官営幌内鉄道(手宮 - 札幌 - 幌内)の一部として1880年に開通した。官営幌内鉄道は1889年に北海道炭礦鉄道に譲渡された後、鉄道国有法によって1906年に買収、国有化された。

1958年に旅客列車の気動車化を実施し、1959年9月22日のダイヤ改正時点では9往復が運行されていた。利用客減少のため1961年10月1日改正で旅客列車は蒸気機関車牽引の客車列車2往復のみとなり、翌1962年5月14日を最後に旅客営業が廃止された[3]

その後も貨物輸送は続けられたが、輸送量の減少により1985年8月下旬から貨物列車の運行がなくなり、同年11月3日・4日にさよなら運転として臨時列車「さよなら手宮線手宮号」が運行され、翌日付で廃止された[1]

駅一覧

南小樽駅 - 色内仮乗降場 - 手宮駅 - 桟橋駅

接続路線

その他

  • 現在、廃線跡のほとんどが保存されている。踏切も残っており、踏切での一時停止の不要を知らせる看板もある。手宮駅跡は「小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館)」として活用されているほか、手宮線をLRTとして復活する提案が地元の「小樽まちづくり協議会」を中心になされている。

脚注および参考文献

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 “気笛一声〝明治〟去る 国鉄手宮線でさよなら列車”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1985年11月4日)
  • 当路線より先、北海道では明治初年に泊村茅沼炭山より海岸まで軌道(茅沼炭鉱軌道)が敷設されているが、牛力での貨車牽引だったため「鉄道」とはみなさないとされるのが一般的である。
  • 3.0 3.1 “14日で国鉄手宮線の旅客扱い廃止”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1962年5月15日)
  • 川上 (1968) p. 2によれば銭函 - 手宮で試運転となっているが、北海道鉄道百年史 上巻などでは10月24日は熊碓村第4隧道(現・朝里駅より小樽側)-手宮桟橋間での試運転、11月11日銭函-手宮間仮運転と記述。国立公文書館デジタルアーカイブ 明治13年11月2日付開拓使上申書「後志国手宮波戸場落成并同所ヨリ熊碓村間ノ鉄道汽車運転ヲ試ム」も参照のこと。
  • 1904年(明治37年)発行 小樽区明治三十七年五月八日大火災地同市区改正地域明細図 北海道立図書館 北方資料デジタル・ライブラリー。 色内を中心とする1904年(明治37年)の小樽市内大火災前後に北海道炭礦鉄道が手宮-色内間の移転用地を買収していたことが図中予定線内に列記された「炭礦」の記述から読み取れる。北海道炭礦鐵道 第三十回営業報告(明治37年上半期)P227及び第三十一回報告(明治37年下半期)P270。同年3月より工事着手、6月竣工、7月1日より使用開始。
  • 北海道鉄道百年史 下巻 P59。