遠敷郡
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郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
7世紀後半に評制の小丹生評として建てられた[1]。701年(大宝元年)に大宝律令により郡となる。713年(和銅6年)の好字二字令により、「遠敷」の字が宛てられた。825年(天長2年)7月に大飯郡が分置された。
戦国時代ごろから「中郡」とも呼ばれるようになり、江戸(藩政)時代には、本郡を上中郡(38ヶ村)・下中郡(72ヶ村)の2つに分けた。
近世以降の沿革
- 小浜町[2]、小倉畑村、虫鹿野村、挙野村、久坂村、堂本村、小倉村、下村、中村、西谷村、井上村、口坂本村、奥坂本村、納田終村、谷田部村、滝谷村、飛川村、五十谷村、窪谷村、桂木村、深谷村、和多田村、上田村、下田村、小屋村、深野村、三重村、青井村、府中村、和久里村、多田村、伏原村、湯岡村、生守村、野代村、尾崎村、須縄村、上竹原村、竹原町[3]、西津村、甲ヶ崎村、阿納尻村、若狭浦、仏谷浦、堅海浦、泊浦、阿納浦、犬熊浦、志積浦、矢代浦、田烏浦、加尾浦、西小川浦、宇久浦、羽賀村、奈胡村、熊野村、次吉村、栗田村、高塚村、太良庄村、遠敷村、国分村、金屋村、竜前村、神宮寺村、忠野村、下根来村、中畑村、上根来村、東市場村、上野村、門前村、池河内村、三分一村、四分一村、大興寺村、平野村、【下野木村、中野木村、上野木村、玉置村、武生村、兼田村、加福六村、堤村、杉山村、加茂村、新保村、大谷村、本保村、竹長村、日笠村、神谷村、井ノ口村、天徳寺村、三宅村、有田村、持田村、長江村、大鳥羽村、黒田村、麻生野村、海士坂村、末野村、山内村、小原村、三田村、無悪村、三生野村、安賀里村、脇袋村、下吉田村、上吉田村、瓜生村、新道村、熊川村、河内村】、新滝谷村[4]、槙谷村、志見ヶ谷村、奥田縄村、口田縄村
- 明治4年
- 明治初年(2町122村)
- 竹原町が改称して竹原村となる。
- 志見ヶ谷村が改称して染ヶ谷村となる。
- 三宅村の一部が分立して仮屋村となる。
- 明治5年(1972年) - 大区小区制により、本郡を敦賀県第三大区から第七大区の5大区に区分。(5大区35小区)
- 明治7年(1874年)(2町132村)
- 区割改正により、第二大区及び第三大区の2大区に区分。(2大区34小区)
- 西津村の一部が分立して大湊村・小湊村・堀屋敷村・北塩屋村・福谷村・新小松原村・下竹原村・小松原村が分立。
- 三宅村の一部が分立して市場村となる。
- 瓜生村の一部が分立して関村となる。
- 明治8年(1875年)8月21日 - 第2次府県統合により滋賀県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)(2町128村)
- 明治13年(1880年) - 大湊村・小湊村が合併して湊村となる。(2町127村)
- 明治14年(1881年)
- 明治17年(1884年) - 有田村の一部が分立して下タ中村となる。(2町128村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・小浜市。(1町17村)
- 小浜町(小浜町[2]が単独町制)
- 雲浜村 ← 西津村、竹原村、上竹原村[後の丸山を除く]
- 西津村 ← 湊村[大部分]、堀屋敷村、北塩屋村、福谷村、新小松原村、下竹原村、小松原村
- 内外海村 ← 田烏浦、矢代浦、志積浦、犬熊浦、阿納浦、西小川浦、加尾浦、阿納尻村、甲ヶ崎村、宇久浦、若狭浦、仏谷浦、堅海浦、泊浦
- 鳥羽村 ← 海士坂村、麻生野村、三生野村、無悪村、黒田村、三田村、大鳥羽村、小原村、長江村、山内村、持田村(現・三方上中郡若狭町)
- 瓜生村 ← 関村、瓜生村、脇袋村、上吉田村、下吉田村、安賀里村、末野村、有田村、下タ中村(現・三方上中郡若狭町)
- 熊川村 ← 河内村、新道村、熊川村(現・三方上中郡若狭町)
- 三宅村 ← 仮屋村、三宅村、市場村、井ノ口村、天徳寺村、神谷村、日笠村(現・三方上中郡若狭町)
- 松永村 ← 池河内村、門前村、三分一村、四分一村、上野村、東市場村、大興寺村、平野村
- 野木村 ← 杉山村、堤村、加福六村、兼田村、武生村、玉置村、上野木村、中野木村、下野木村(現・三方上中郡若狭町)
- 宮川村 ← 大谷村、本保村、竹長村、新保村、加茂村
- 国富村 ← 太良庄村、高塚村、栗田村、次吉村、羽賀村、奈胡村、熊野村、上竹原村[後の丸山]、湊村[一部]
- 遠敷村 ← 上根来村、中畑村、下根来村、忠野村、神宮寺村、竜前村、金屋村、遠敷村、国分村
- 今富村 ← 尾崎村、野代村、生守村、多田村、木崎村[6]、和久里村、府中村、湯岡村、伏原村、青井村
- 口名田村 ← 相生村、中井村、口田縄村、奥田縄村、須縄村、谷田部村
- 中名田村 ← 小屋村、上田村、下田村、和多田村、深谷村、深野村
- 南名田村 ← 虫鹿野村、挙野村、小倉畑村、久坂村、三重村、染ヶ谷村、槙谷村、堂本村、小倉村(現・大飯郡おおい町)
- 奥名田村 ← 納田終村、奥坂本村、口坂本村、井上村、西谷村、中村、下村(現・大飯郡おおい町)
- 明治24年(1891年)4月1日
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和10年(1935年)4月1日 - 雲浜村・西津村が小浜町に編入。(1町15村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 地方官官制の一部改正により、若狭地方事務所を小浜町に設置。大飯郡とともに管轄。[7]
- 昭和26年(1951年)3月30日 - 小浜町・内外海村・松永村・国富村・遠敷村・今富村・口名田村・中名田村が合併して小浜市が発足し、郡より離脱。(8村)
- 昭和29年(1954年)1月1日 - 三宅村・鳥羽村・瓜生村・熊川村・野木村が合併して上中町が発足。(1町3村)
- 昭和30年(1955年)
- 平成17年(2005年)3月31日 - 上中町が三方郡三方町と合併して三方上中郡若狭町が発足し、郡より離脱。(1村)
- 平成18年(2006年)3月3日 - 名田庄村が大飯郡大飯町と合併して大飯郡おおい町が発足。同日遠敷郡消滅。
変遷表
行政
- 歴代郡長[5]
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 曽根直行 | 明治14年(1881年)3月12日 | 明治14年(1881年)6月20日 | |
2 | 須田安崇 | 明治14年(1881年)6月20日 | 明治15年(1882年)9月14日 | |
3 | 森川秀雄 | 明治15年(1882年)9月14日 | 明治19年(1886年)4月22日 | |
4 | 菅原良三郎 | 明治19年(1886年)4月22日 | 明治21年(1888年)3月23日 | |
5 | 藤田孫平 | 明治21年(1888年)3月23日 | 明治22年(1889年)1月8日 | |
6 | 西久保紀林 | 明治22年(1889年)1月8日 | 明治24年(1891年)6月12日 | |
7 | 柘植善吾 | 明治24年(1891年)6月12日 | 明治34年(1901年)3月10日 | |
8 | 山田正隆 | 明治34年(1901年)3月10日 | 明治35年(1902年)1月21日 | |
9 | 金谷充 | 明治35年(1902年)1月21日 | 明治35年(1902年)5月19日 | |
10 | 山下中二 | 明治35年(1902年)5月19日 | 明治37年(1904年)12月23日 | |
11 | 近藤直一 | 明治37年(1904年)12月23日 | 明治40年(1907年)12月10日 | |
12 | 和田見龍 | 明治40年(1907年)12月10日 | 明治43年(1910年)1月27日 | |
13 | 大山綱岳 | 明治43年(1910年)1月27日 | 明治45年(1912年)1月16日 | |
14 | 土持兼白 | 明治45年(1912年)1月16日 | 大正3年(1914年)8月21日 | |
15 | 佐々木武介 | 大正3年(1914年)8月21日 | 大正4年(1915年)12月25日 | |
16 | 鷲田又兵衛 | 大正4年(1915年)12月25日 | 大正6年(1917年)3月15日 | |
17 | 色川圀城 | 大正6年(1917年)3月15日 | 大正7年(1918年)7月13日 | |
18 | 宍道達郎 | 大正7年(1918年)7月13日 | 大正8年(1919年)10月8日 | |
19 | 平田富資 | 大正8年(1919年)10月8日 |
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 18 福井県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
テンプレート:若狭国の郡- ↑ 藤原京藤原宮の北にある外濠から、各々「若佐国小丹生評木ツ里」「若狭国小丹生評岡田里」等と記す木簡が見付かった。木ツ里は後の大飯郡木津郷。奈良国立文化財研究所『藤原京木簡』一、147, 148、1978年、解説76頁。
- ↑ 2.0 2.1 小浜清滝町、小浜津島町、小浜多賀町、小浜鈴鹿町、小浜塩竈町、小浜生玉町、小浜今宮町、小浜玉前町、小浜白鬚町、小浜広峯町、小浜酒井町、小浜龍田町、小浜住吉町、小浜日吉町、小浜神田町、小浜大宮町、小浜男山町、小浜鹿島町、小浜白鳥町、小浜貴船町、小浜浅間町、小浜香取町、小浜飛鳥町、小浜大原町の総称。「旧高旧領取調帳」には記載なし。
- ↑ 記載は「竹原町/西津町」となっており西津村のうち町方を含む。
- ↑ 記載は滝谷新田。
- ↑ 5.0 5.1 遠敷郡教育会編纂『若狭遠敷郡誌』
- ↑ 和久里村のうち。本項では村数に数えない。
- ↑ 福井県編『福井県史』通史編6 近現代二