六韜
テンプレート:Wikisourcelang 『六韜』(りくとう)は、中国の代表的な兵法書で、武経七書の一つ。このうちの『三略』と併称される。「韜」は剣や弓などを入れる袋の意味である。「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の6巻60編から成り、全編が太公望呂尚が周の文王・武王に兵学を指南する設定で構成されている[1]。中でも「虎の巻」は、兵法の極意として慣用句にもなっている。
先秦の古書
『六韜』は宋代に刊行された宋刊本が通行していたが、『漢書』巻30藝文志[2]「兵書略」にその名が見えず、『隋書』巻34経籍志[3]「兵家」にその書名が見える。このため姚際恒は『古今偽書攷』で秦漢以降の偽作と論じている。しかし、1972年に発掘調査された銀雀山漢墓群(前漢武帝期の造営)より出土した竹簡の中に「文韜」「武韜」「虎韜」の残簡(竹簡53枚)が検出され、前漢前期の紀元前2世紀には既に流布していたことが判明した。このことから、戦国時代には成立していた可能性が高いとされる[4]。
伝承
前漢創業の功臣である軍師張良が黄石公から譲り受けたといわれている書物でもある[5]。
日本では、朝廷の書物を管理していた大江維時が10世紀初めの930年頃、唐から『六韜』『三略』および『軍勝図』(諸葛孔明の八陣図)を持ちかえったが、これらの兵書を「人の耳目(じもく)を惑わすもの」とし、大江家にのみ伝え、他家に秘して、しばらくの間は広まらなかったとされる[6](大江家が兵書を伝えたのは、古代では天皇の勅命でやむをえずの場合)。このほか、源義経が陰陽術師の鬼一法眼から譲り受けたという伝説や、大化の改新の際に中臣鎌足が暗唱するほど読み込んでいたという言い伝えが残っている。
歩騎兵力の換算
『六韜』における用兵論の一つとして、「平坦な土地」においては、1騎に対し、歩兵8人で対抗できると記し、山間など「険しい土地」では、1騎に対し、歩兵4人で戦えると記述されており、土地柄によって歩兵で騎兵を相手にできる人数を説いている。
註
参考文献
注釈書
- 林富士馬『六韜』中公文庫、2005年 ISBN 4122044944
- 守屋洋、守屋淳『六韜・三略』プレジデント社、1999年 ISBN 4833416921
- 村山孚『孫子・呉子』徳間書店、1996年 ISBN 4198604770
- 浅野裕一・湯浅邦弘編『諸子百家〈再発見〉掘り起こされる古代中国思想』岩波書店 2004年 ISBN 4000233998
関連項目
外部リンク
テンプレート:Chinese-history-stub- ↑ この設定そのものは明らかな偽託である。
- ↑ テンプレート:Cite wikisource
- ↑ テンプレート:Cite wikisource
- ↑ 羅福頤「臨沂漢簡概述」『文物』1974年二期
- ↑ 『史記』の記述によれば、張良が逃亡先で世話をした老人から太公望呂尚の兵法書(書名の記述なし)を授けられるが、この際にいわれた言葉が、「これを読めば王者の師になるだろう」だったという。老人が語った通り、10年後に仮の王の下、兵法を指導している。この間、良は太公望の兵法を周囲に説いたが、誰も耳を傾けなかったため、耳を傾けた王の聡明さを讃えた。
- ↑ 『闘戦経』 2011年