木曽川町
テンプレート:Infobox 木曽川町(きそがわちょう)は、愛知県の西北端に位置し、織物が盛んで、福祉に力を入れていることで知られる町である。現在は一宮市の地域の一つで一宮市木曽川町である。
木曽川といえば川の名称、地理的な理由から「岐阜県木曽川町」と間違われることも多かった。「第三次木曽川町総合計画」が進行中である。
交通は充実しており、高速道路や国道が通り、鉄道駅は4つもある。
目次
地理
愛知県の西北端に位置し、西に木曽川が位置し、JR東海道線と名鉄名古屋本線が南北に縦断している。木曽川の清流が多くの生命を育み、冬には伊吹おろしが吹く。
- 河川: 木曽川
隣接していた自治体
歴史
沿革
- 1889年(明治22年)10月1日 葉栗郡曽根村・黒田村・門間村・内割田村・外割田村・三ッ法寺村が合併し黒田村となる。
- 1894年(明治27年)12月27日 町制施行し黒田町となる。
- 1906年(明治39年)5月10日 黒田町の一部(曽根)が北方村に編入、里小牧村・玉ノ井村が黒田町に編入した。
- 1910年(明治43年)2月1日 JR木曽川駅の誕生と、木曽川に隣接していることから木曽川町に改称。
- 1960年(昭和35年)12月20日 - 町章を制定する。[1]
- 2000年(平成12年)9月11日 - 9月12日 の東海豪雨で、床上浸水1件、床下浸水29件の被害が出た。
- 2005年(平成17年)4月1日 尾西市と共に一宮市に編入する。
合併の経緯
「木曽川町が一宮市及び尾西市と合併することの可否に関する住民投票」が、2004年7月15日に告示され、2004年7月25日に投開票された。愛知県内で初めての、住民の直接請求による合併に関する住民投票で、賛成8,040票、反対7,622票という結果となり、町長と議会は条例に従い投票結果を尊重。2004年8月30日、『いちのみや安全なまちづくり推進協議会』が発足した。
行政
- 旧町長:山口昭雄
経済
平成
日本全体と同じく繊維産業が衰退し、繊維工場や機屋は減少した。 一宮木曽川インターチェンジが完成すると、付近には倉庫業や運送業の施設が多くなり、田畑・県下最大の生産量を誇ったタマネギボウズ畑は、住宅や商業施設へ変わっている。 『アピタ』や『イオンモール木曽川キリオ』、『平和堂』といった、大型商業施設が人を集めている。「キリオ」には一宮市唯一のシネコンもある。
姉妹都市・提携都市
国内
公共機関
医療機関
- 木曽川町立木曽川病院(現:一宮市立木曽川市民病院)
地域
教育
交通
鉄道路線
中心駅はJR木曽川駅と名鉄新木曽川駅。列車の停車本数は名鉄の方が多い。
道路
高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
- 愛知県道147号西萩原北方線
- 愛知県道148号萩原三条北方線
- 愛知県道175号江南木曽川線
- 愛知県道181号光明寺木曽川停車場線
- 愛知県道190号名古屋一宮線
- 愛知県道193号大垣江南線(尾濃大橋あり)
電気・ガス
木曽川町では、電気は中部電力株式会社、都市ガスは東邦瓦斯株式会社(東邦ガス)がそれぞれ供給していた。
町内で最初に電気の供給を開始したのは旧一宮町(現・一宮市)に本社を置いていた一宮電気である。同社により1913年(大正2年)2月に電灯の供給が開始された。以後町内では順次電灯が普及し、産業界でも織物工場を中心に電化が進んでいった。町内の電気事業はその後合併により大手の東邦電力に引き継がれ、戦時下の配電統制のため1942年(昭和17年)に中部配電に移管。戦後1951年(昭和26年)に中部電力に再移管されて現在に至っている[2]。
都市ガス供給の開始は戦後で、一宮市内で大正時代からガス供給を行っていた東邦瓦斯により、1962年(昭和37年)11月に開始された[3]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 一豊まつり(8月上旬)(主催:木曽川町)
- 木曽川町消費生活展(10月下旬)(主催:木曽川町)
- 商工まつり(11月上旬)(主催:木曽川町商工会)
- ジョギング&歩け歩け大会(12月上旬)(主催:木曽川町・木曽川町教育委員会)
- 黒田城城址
- すずめのお宿
- 郷土資料館
- 川合玉堂生誕碑
- 沢井公屋敷跡
- 山内盛豊、十郎父子の墓
- 法蓮寺
- 加茂神社
出身有名人
関連項目
脚注
- ↑ 一宮市・尾西市・木曽川町合併協議会 慣行の取り扱い
- ↑ 木曽川町史編集委員会(編)『木曽川町史』、木曽川町、1981年、pp.766-774
- ↑ 『木曽川町史』、p.1107
東邦瓦斯株式会社社史編集委員会『東邦瓦斯50年史』、東邦瓦斯、1972年、p.394