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水野 忠昭(みずの ただあき、元禄13年(1700年)- 寛延2年10月25日(1749年12月4日))は、紀伊新宮藩の第5代当主。
水野重矩(初代当主・水野重央の次男・水野定勝の子孫)の三男。養父は第4代当主・水野重期。母は奥山玄建の養女。正室は加藤明治の養女(加藤明教の娘)。子に忠興(長男)、娘(水野政勝正室)、娘(一柳寛直正室)、娘(阿部正韶正室)。官位は大炊頭。
正徳4年(1714年)7月18日、養父の隠居により跡を継いだ。寛延2年(1749年)10月25日に死去し、跡を忠興が継いだ。法号は本徳院殿良山日種大居士。墓所は東京都新宿区四ツ谷の戒光寺。
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