アドマイヤホープ

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テンプレート:Infobox アドマイヤホープとは日本の元競走馬である。2003年の全日本2歳優駿優勝馬。2005年に障害競走に転向した。転向後の主戦騎手北沢伸也。半弟に重賞3勝のアドマイヤフジ(父アドマイヤベガ)と福島記念勝ちのアドマイヤコスモス(父アドマイヤマックス)がいる。

戦績

2003年8月23日、鞍上に武豊を迎えデビュー。3戦目で初勝利を飾る。その年の秋から暮れにかけて交流重賞で活躍し、北海道2歳優駿で重賞競走に初勝利、兵庫ジュニアグランプリ2着を経て、ダートの2歳王者決定戦・統一GI競走の全日本2歳優駿に進む。レースでは中団から第4コーナーで先頭に並びかけ、直線で抜け出して2着に2馬身差を付けて優勝。GI競走優勝を果たした。

しかし3歳初戦のヒヤシンスステークスを11着と大敗すると、翌年夏までに8連敗、最高着順は4着と低迷する。復活勝利は4歳を迎えての2戦目・米子ステークスで、11頭中10番人気という低評価ながら、スタート直後に先頭に立ってレースを先導すると、そのまま内ラチ沿いを逃げ粘り、約1年半ぶりの勝利を収めた。しかしその後は再び不振となり、同年8月15日のクラスターカップを6着を最後に障害競走に転向した。

平地戦における実績から、入障後は人気を集めていたがすぐに勝利は挙げられず、3戦目で初勝利。その後も2着が2度あったものの、全体的には低調であった。しかし5歳2戦目の淀ジャンプステークスにおいて、それまでのレコードタイムを1.4秒更新し、障害競走2勝目を挙げる。続く障害重賞初挑戦となった阪神スプリングジャンプでは3番人気に支持された。しかし結果は4着。以後は再び低迷を始め、2008年7月18日に中央競馬の競走馬登録を抹消。公営佐賀競馬へ移籍となった。移籍緒戦となった2009年4月19日の由布岳特別では9着と惨敗した。2010年10月1日付で地方登録を抹消された。GI競走を制しているにもかかわらず功労馬繋養展示事業の対象馬になっておらず、その後の消息は分かっていない。

競走成績

  • 2003年-6戦3勝(全日本2歳優駿、北海道2歳優駿)
  • 2004年-7戦0勝
  • 2005年-8戦2勝(うち障害4戦1勝)
  • 2006年-障害5戦0勝
  • 2007年-障害5戦1勝
  • 2008年-障害1戦0勝
  • 2009年-1戦0勝

血統表

アドマイヤホープ血統ミスタープロスペクター系/Native Dancer 4×5=9.38%、Nasrullah 5×5=6.25%)

*フォーティナイナー
Forty Niner 1985
栗毛 アメリカ
Mr.Prospector 1970
鹿毛 アメリカ
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
File 1976
栗毛 アメリカ
Tom Rolfe Ribot
Pocahontas
Continue Double Jay
Courtesy

*アドマイヤラピス 1992
栗毛 アイルランド
Be My Guest 1974
栗毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
What a Treat Tudor Minstrel
Rare Treat
Elevate 1985
鹿毛 アイルランド
Ela-Mana-Mou *ピットカーン
Rose Bertin
Sunny Valley Val de Loir
Sunland F-No.1-l

父フォーティナイナーは1987年度のエクリプス賞最優秀2歳牡馬。詳細は同馬の項を参照のこと。母は中央競馬で7勝を挙げたオープン馬で、G2のステイヤーズステークスで2着の実績がある。曾祖母サニーヴァレーの産駒に、エプソムオークスヨークシャーオークスセントレジャーステークスの優勝馬サンプリンセス(Sun Princess)、コロネーションカップなど重賞5勝を挙げたサドラーズホール(Sadler's Hall)がおり、同牝系出身の活躍馬にはフサイチコンコルドリンカーンヴィクトリーエリンバードなどがいる。

外部リンク

テンプレート:全日本2歳優駿勝ち馬