群馬県道76号前橋西久保線

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テンプレート:Ja Pref Route Sign 群馬県道76号前橋西久保線(ぐんまけんどう 76ごう まえばしにしくぼせん)は群馬県前橋市北部の荒牧町から伊勢崎市西久保町に至る主要地方道である。

概要

  • 起点:前橋市荒牧町
  • 終点:伊勢崎市西久保町

国道17号から前橋市街地北部・赤城山南方の低い丘陵部を経て平野の農村地帯に抜け、伊勢崎市北部・赤堀地区(旧・佐波郡赤堀町)の国道50号に至る東西方向の路線である。

地元では赤堀町が伊勢崎市に合併される以前の旧称である「前橋赤堀線」もしくは更に以前の名称「今井前橋線」に因る「赤堀線」・「今井線」の通称で呼ばれる。沿道に所在する産泰神社にちなみ、東寄りの区間では「産泰道路」の通称もある。

渋川市など県北部から前橋市街の北側を迂回して国道50号に出る短絡路として、また地元の生活道路として機能しており、交通量は多い。しかし車線数は全線2車線であり、前橋市郊外沿道の産泰神社以西では集落や地形に影響された急カーブが多々存在すること、右折車線の整備されていない交差点が多いなどの原因から、各地で朝夕の渋滞が発生している。

起点である前橋市南橘地区内では地区を東西に貫通する唯一の道路でありながら、ぎりぎり2車線が確保されているに過ぎない狭隘路であるため、終日混雑が激しい。現在この道路の北に1kmほどの距離を置いて並行する国道17号上武道路の整備が進められており、全通すれば拠点間交通についてそちらへの移行が見込まれることから、混雑の緩和が期待されている。

また終点の伊勢崎市西久保町・西久保交差点では、国道50号の未整備な2車線区間十字路に本路線が西から割り込む形で狭隘な五叉路を形成しており、こちらも信号機による平面交差で慢性渋滞ポイントとなっている。これを含む国道50号2車線区間を回避するため、2008年以降、50号北側においてバイパスルートの前橋笠懸道路を建設中である。

歴史

赤城山南面・平野部の東西主要路としては、より南方を通る国道50号[1]よりも歴史が古い。前橋藩藩主からの信仰の対象になっていた産泰神社への参詣道として江戸時代から続く道筋であり、近世から既に「産泰道」と呼ばれていた。この道が前橋市街から産泰神社手前に至った地点で、直進するとそのまま丘陵上にある神社境内に登る道筋になっている(このため県道は神社のある丘の南側にカーブして迂回している)のは、参詣路としての出自によるものである。

1940年5月17日付で赤堀村(当時)大字西久保-前橋市(同市堅町道路原標)間が群馬県道「赤堀前橋線」として群馬県道に指定された[2]

その後、1959年9月18日付で旧称を廃止・重複区間を除外する形で赤堀村大字今井字一丁畑-前橋市上泉町間を再指定、県道「今井前橋線」となった[3]。更に後年、主要地方道指定および両端部分の再延長指定が行われている。

多田山切り通し区間

本路線は東寄り区間では全般に平坦な田畑の中を東西に走っているが、前橋市・伊勢崎市境界付近の平坦地には、「大室古墳群」と呼ばれる古墳の集合地帯があり、かつて本路線はそれらに連なる多田山(標高159.1m)南方に延びる丘陵南部を南寄りカーブで登って、ピーク付近では浅い切り通しを抜ける形で通過していた。前後数百メートルの短い区間ながら急勾配で、全般に勾配の緩い傾向の本路線では唯一の「山越え」であった。

多田山南部は、1997年から2006年にかけ、北関東自動車道建設の盛土供給源として大規模に切り崩され、最終的には本路線の峠越え部分を含めた多田山丘陵南部の大部分が消滅した。これに伴い、旧道より北方に、周囲の平野部同等にまで掘り下げられた幅広の切り通しが作られ、多田山東西を直線的に貫く新道となって急勾配を解消した。

なお、盛土採取地域周辺については1996年から群馬県企業局により住宅団地造成の計画があったが、バブル景気崩壊後の長期不況下で2003年には計画が中止された。2009年以降、企業局のほか周辺自治体も交えての工業団地造成などが検討されている。

交差する主な道路

関連項目

注釈

  1. 1920年代から1933年にかけて前橋市-桐生市間の新道として整備された群馬県道「石山前橋線」ほかが前身で、1953年の二級国道指定により、旧国道122号前橋水戸線に昇格編入された。
  2. 昭和15年群馬県告示第251号(『群馬県報』第1609号 1940年5月17日発行 p777)。このため当初の両端は他県道との重複となった。
  3. 昭和34年群馬県告示第325号「県道路線廃止に関する告示」、同第324号「県道路線認定に関する告示」による(『群馬県報』号外 1959年9月18日発行)。「今井」は旧赤堀村(のち赤堀町)の大字名。