池田政員

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年9月28日 (土) 20:59時点における122.134.240.158 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

池田 政員(いけだ まさかず、元文2年10月23日1737年11月15日) - 明和4年1月29日1767年2月27日))は、備中国生坂藩の第3代藩主。

第2代藩主・政晴の次男。母は池田政倚の娘。正室は池田政純池田綱政五男)の娘。官位は従五位下、中務少輔。幼名は泰太郎。通称は伊織。子は池田政良、秀次郎(両人とも公式には弟政弼の子とされた)[1]

寛延元年(1748年)、父の死去で跡を継ぐ。明和4年(1767年)正月29日、31歳で死去した。法名は承徳院殿佑邦宗賢大居士。跡を弟の政弼が継いだ。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:生坂藩主
  1. 大森映子『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)p.59-63