松本市立大野川小学校・中学校
テンプレート:日本の中学校 松本市立大野川小学校・中学校(まつもとしりつおおのがわしょうがっこう・ちゅうがっこう)は長野県松本市安曇宮の原にある市立小学校・中学校。
概要
乗鞍岳の東麓、乗鞍高原の東部に位置する。2005年4月1日の市町村合併に伴い、安曇村立から松本市立に移行した。学区が大野川(乗鞍)地区・白骨地区・沢渡地区など旧安曇村西部一帯の広域にわたるため、一部の児童・生徒はバスにより通学している。1968年、沢渡分校の廃校に伴いこれを統合した。
山間部ということもあり、「へき地教育振興法」に基づくへき地2級の指定を受けている。近隣では奈川小中学校は1級、安曇小中学校は未指定である。
交通
アルピコ交通バス乗鞍高原線・乗鞍経由白骨温泉線・上高地乗鞍線 「大野川学校前」バス停徒歩0分
施設
小学校及び中学校が同一敷地・同一建物内に併設されている。インターネットの接続が可能な教室、開閉可能な屋根のついたプール、太陽光発電施設など、近代的な施設が整備されている。
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中学校・小学校の玄関前
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玄関前の学校専用通り。右方向に県道が、左方向に学校玄関が、前方向に運動場がある
今後を考える会
2013年7月、小学校・中学校PTA役員、町会長、同窓会長ら11人により、「大野川小中学校の今後を考える会」が組織された[1]。校区内では少子化が著しく、児童・生徒数の減少により統廃合の対象になることを懸念し、学校維持に向けた取組みを進めるために結成されたもの[1]。
1993年のピーク時に156人いた児童・生徒は、2013年には31人(小学校17人・中学校14人)に減少しており、複式学級がほとんどである[1]。2014年度には、児童・生徒数はさらに25人に減る見通しになっている[1]。一方、大野川小中学校は、音楽会や運動会などの学校行事に住民が参加したり、地域で収集した有価資源ごみの収入を学校運営に寄付したり[1]しており、学校は地域共同体の核になっている。このことから、統廃合により学校がなくなれば、地域社会が崩壊するとの懸念の声がある[1]。
松本市では、2013年4月に、四賀地区で4つの小学校が統廃合され四賀小学校が開校している。このことが「小中学校の存在は地域活性化に不可欠だ」との意識に危機感を産んだ[1]。松本市には学校統廃合の規定はなく、2013年の時点で、教育委員会は大野川小学校・中学校の他との統廃合について「まったく考えていない」としている[1]。安曇地区には、他に安曇小中学校がある。両校間は、自動車で40分弱である。
年表
- 1892年(明治25年) - 安曇・梓・倭の3か村立高等小学校を梓村杏に建設
- 1910年(明治43年) - 安曇・梓・倭3か村立高等小学校、生徒数減少のため廃止
- 1948年(昭和23年) - 大野川小学校沢渡分校を新築
- 1955年(昭和30年) - 大野川中学校校舎を宮ノ原に移転・新築
- 1956年(昭和31年) - 大野川小学校校舎を宮ノ原に移転・新築
- 1964年(昭和39年) - 大野川小学校沢渡分校、火災で焼失
- 1965年(昭和40年) - 大野川小学校沢渡分校再建
- 1977年(昭和52年) - 小中学校に隣接の番所の国有地(松本営林署番所貯木場跡地)を購入し、村民の運動用地として整備
- 1985年(昭和60年) - 大野川小・中学校に体育館竣工
- 1985年(昭和60年) - 番所運動場に夜間照明施設を設置
- 1993年(平成5年) - 大野川中学校改築工事竣工
- 1994年(平成6年) - 大野川小学校改築工事竣工
- 1995年(平成7年) - 大野川小中学校屋外教育環境整備事業竣工(野外ステージほか)
- 1996年(平成8年) - 大野川小中学校屋内プール竣工[2]
- 2013年(平成25年)7月 - 大野川小中学校の今後を考える会が発足[1]