陶器藩
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陶器藩(かわらけはん / とうきはん)は、和泉国(現在の大阪府堺市中区陶器北)に存在した藩。
藩史
慶長9年(1604年)、但馬国出石藩主であった小出吉英は、叔父の小出三尹に1万石を分与した。これにより三尹は大名に列し、陶器藩の立藩となった。ちなみに三尹は、豊臣秀吉の生母・大政所なかの妹を妻とする小出秀政の四男である。
三尹は慶長14年(1609年)から徳川氏に仕え、大坂の陣においても徳川方として参戦した。そして尾張国や遠江国で奉行職を務めるなどの功績を挙げている。三尹は寛永19年(1643年)4月29日に死去し、跡を小出有棟が継いだ。有棟の後は小出有重、そして小出重興と受け継がれた。しかし重興は元禄9年(1696年)4月に病に倒れる。重興には嗣子がなかったため、弟の小出重昌を養子とすることで存続を願い出たが、その許可が出る前に重興が死去し、陶器藩は無嗣のために改易となった。
なお、陶器藩小出氏は、後に重興の叔父(有棟の四男)小出有仍(ありより)が別家の有棟の弟の小出尹明の養子として跡を継ぎ、徳川家綱の小姓から昇進して甲斐・信州・武蔵国内5000石を領し、宝永2年(1705年)幕府代官支配となった旧領のうち5000石に移された。以後、尹従、有相、有福、有里、有度、有義、有輝、有常と続き幕末を迎えた。
歴代藩主
- 小出家
1万石 外様
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』