豊岡城
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豊岡城(とよおかじょう)は、兵庫県豊岡市にあった城。別名・亀城。
沿革
但馬国守護大名山名持豊(宗全)により、此隅山城の出城として、標高48mの神武山に木崎城(城崎城)が建築された。山名氏のもとでは、山名四天王に数えられた垣屋氏が配された。
1580年(天正8)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉による第二次但馬征伐で但馬国の山名氏が一旦滅ぶと、秀吉配下の宮部継潤の支配となった。宮部氏は、城崎を豊岡と改め、城を改築した。このとき城下町も整備され、これが現在の豊岡の町の基礎となった。
江戸時代に入ると、豊岡藩として杉原氏が城主となっていたが、三代・重玄に嫡子なくして無子改易となり、一旦廃藩となったため、豊岡城は廃城となった。
後に京極氏が入封し、再度豊岡藩が置かれるが、城主大名の格式ではなく、山城の維持費もかかるため、神武山の麓に陣屋(豊岡陣屋)が建築され、藩政は陣屋にて行われた。
現在、豊岡城跡一帯は神武山公園として整備されている。