小川知子 (アナウンサー)

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 小川 知子(おがわ ともこ、1971年12月24日 - )は、TBSアナウンサー東京家政学院高等学校慶應義塾大学文学部史学科東洋史専攻卒業。慶應義塾大学在学中の1991年ミス慶應に輝く。血液型A型。身長170cm。既婚。東京都新宿区出身。

来歴・人物

大学時代は、スキー競技をしていた。TBSの入社試験を間近に控えたとある競技大会で、練習日に左手の、大会本番では左足のそれぞれのじん帯を切る大けがを負ってしまい、入社試験当日には病院からTBSに出向いたという。このときの左手足に包帯を巻いた上でのブレザー服姿の就職活動用の写真と、先述の「ミス慶應」に選ばれたときの写真が、1998年発行の女子アナ写真集『We love TBS!!』に掲載されている。

1995年TBS入社。入社してから約4年間は、いわゆる「体育会系」だったこともあり、主にスポーツ報道を中心に活躍。1998年の長野オリンピックの取材で、長野県白馬村の大回転のコースを滑走していたところ、40メートルほど転げ落ち、鼻血を出し軽い鞭打ち状態になったこともあった。

1997年5月10日放送の特撮作品ウルトラマンティガ』(毎日放送制作)の第36話「時空(とき)をこえた微笑(ほほえみ)」にTPC隊員と逃げ惑う群衆の2役でカメオ出演した。

1999年春、『エクスプレス』のMCを務めることになってから、報道・情報系に転向する。その『エクスプレス』放送中に、自身の結婚報告をした。また、深夜のスピンオフ番組『夜のエクスプレス』(2000年~2001年放送)では、当時新婚だった小川が「夜食をつくる」コーナーがあり、共演者の浅草キッドの辛口なコメントにもめげず、手料理を披露していた。

2001年春、前任者・進藤晶子のTBS退社降板により『JNNニュースの森』のメインキャスターに就任。2004年秋の『ニュースの森』降板後は、研修として報道局外信部で活動し、主にニューヨーク支局で働いていた(アナウンサーがニューヨーク支局に正式配属となったのは、2013年の久保田智子が初めて)。2005年7月に帰国。

帰国後は、入社11年目で初と見られるラジオのレギュラー『大沢悠里のにっぽん元気カンパニー』に出演。TBSラジオでは上記の番組を内包する『大沢悠里のゆうゆうワイド』の代打アシスタントを数回務めるほか、『環境キャンペーン』特別番組のパーソナリティーにも起用される機会があった。

2007年3月から産休に入ることを、同年2月1日放送の『ゆうゆうワイド』の中で発表した。同年5月18日に、第1子となる女の子を出産していたと、5月21日TBSから発表。体重は3,130g、母子ともに健康。これで1995年入社組は、3人ともママさんアナウンサーになった。

2008年3月下旬復帰。かつて担当していたラジオ番組『にっぽん元気カンパニー』の最終回に出演した。その後はテレビの報道・情報系番組を中心に活躍。

2010年8月13日の放送のラジオの生ワイド番組『森本毅郎・スタンバイ!』に出演した際、第2子を妊娠していることが明らかにした。そのため、これまで担当していた『Nスタ』日曜版を8月15日放送分で一時降板(代役は山田愛里)。なお、小川の公式ブログによると第2子は男の子だという(外部リンク参照)。

2012年3月1日付の公式ブログで第3子の妊娠を発表、同月18日の『Nスタ』で降板および産休を発表した。5月7日都内の病院で3,335gの二女を出産していたことが11日、分かった。

2013年4月より3度目の仕事復帰。

参考文献

  • 『We love TBS!! 女子アナウンサーのすべて見せます。』 アスキー刊 1998年発行
  • 小松克彦ほか著『新・女子アナ時代』 双葉社刊 2000年発行

現在の出演番組

テレビ

ラジオ

過去の出演番組

テレビ

同期入社

外部リンク

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