長後街道
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長後街道(ちょうごかいどう)は、神奈川県道22号横浜伊勢原線のバスセンター前(神奈川県横浜市戸塚区戸塚町) - 高鎌橋(藤沢市高倉)と、神奈川県道42号藤沢座間厚木線の高鎌橋 - 長後小学校入口(藤沢市長後)までの道路区間の名称。旧大山道の一つ。
概要
- 長後街道として整備される前の旧道は、戸塚みち(大山道とも)と呼ばれていた。
- 開通当初は新道・厚木街道と呼ばれていたが、昭和50年代頃から現在の名前で呼ばれるようになった。
- 明治から大正時代にかけて藤沢市北部・横浜市泉区・瀬谷区周辺では養蚕が盛んで、長後街道周辺には製糸工場も数多くあったため、東海道の宿場であった戸塚・保土ヶ谷経由で横浜港へ絹糸を運ぶための道として重要な役割を果たしていた。
- バスセンター前交差点 - 高鎌橋交差点は、神奈川県道22号横浜伊勢原線(主要地方道横浜伊勢原線、都市計画道路3・3・19号横浜伊勢原線)の一部となっている。
- 横浜市泉区の主要幹線道路として位置づけられており、大規模災害時には災害対策基本法に基づき交通規制の対象となる。
- 戸塚みちは、一部区間が現存する。
- バスセンター前交差点の北側にある清源院入口交差点を起点とし、清源院とサクラス戸塚の間を通り、矢沢交差点に至る約440メートルの区間。
- 中田町東原交差点から左斜め前方の道に入り、神奈川トヨタ自動車中田店の裏を通って長後街道を横断し、ルームズ大正堂戸塚店の裏を通り、横浜市営地下鉄ブルーライン中田駅の先で長後街道に至るの約900メートルの区間。
- 泉区総合庁舎東側交差点の手前の中和田村役場跡公園で左折した地点から、和泉川に至る約280メートルの区間。
- 和泉坂上交差点の先で左前方の道に入り、上飯田けやき公園の横を通り、境川沿いの旧かまくらみちに至るまでの約400メートルの区間。なお上飯田けやき公園(旧通称 南公園)の植え込みの中に「大山道」と書かれた道路標識が立てられていたが、公園が再整備された際に撤去された。
- かつては片側1車線で、朝は戸塚方面に向かう車、夕方は長後方面に向かう車で大変な混雑をしていたが、地下鉄開通後のバスの減少や車線の増強によって次第に緩和されていった。しかし、日産前バス停付近からアザリエ団地入口バス停付近までは片側2車線になったものの、通勤時間帯は矢沢交差点で左折して横浜新道へ入る車が大半を占めるため、戸塚駅方面へ向かう右車線を使う車は少ない。そのため、あまり改善されたとはいえない。
路線データ
- 起点: バスセンター前(神奈川県道22号横浜伊勢原線)
- 終点: 長後小学校入口(神奈川県道42号藤沢座間厚木線)
通過する自治体
歴史
- 1902年(明治35年)5月着工、1914年(大正3年)完成。
- 1914年(大正3年)5月には成宮鶴吉により乗合馬車が、1920年(大正9年)には相沢自動車店[1]によりバスの運行が開始された[2]。
- 1920年(大正9年)、神奈川県の県道となる。
- 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により、矢沢隧道(アザリエ団地入口バス停付近)が崩落したため、1925年(大正14年)12月に切り通しに改良。
- 1945年(昭和20年)8月30日、厚木海軍飛行場に到着したダグラス・マッカーサーが初日の宿泊地の横浜ホテルニューグランドへ向かう途中に通過し、沿道の八百屋の前で休憩。休憩の際に沿道の商店にあった井戸(通称、マッカーサー井戸 現、ローソンストア100中田北2丁目店駐車場)でマッカーサーらが水を飲んだという逸話がある[3]。以降、日米行政協定道路(現在の国道16号)が完成するまで、厚木基地から横浜へ移動するために進駐軍もよく使用していた。
地理
起点のバスセンター前交差点は標高が最も低く(標高17メートル)、そこから1.3キロメートル先の標高最高地点の踊場交番前交差点(標高58.5メートル)まで登り坂が続く。踊場交番前交差点から先は泉区となり、500メートル先の中田町庚申前東側交差点の付近(標高 48メートル)までは下り坂が続き、以降はほぼ平坦となり、市境の境川直前の上飯田団地入口交差点(標高31メートル)付近まで徐々に低くなってゆく。
またバスセンター前交差点から立場交差点までは、道路の下に横浜市営地下鉄ブルーラインが走っている。
交差する道路
- 国道1号(バスセンター前交差点 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町)- 起点
- 国道1号横浜新道戸塚支線(矢沢交差点 戸塚区戸塚町)
- 神奈川県道402号阿久和鎌倉線(泉区和泉町) - 通称、かまくらみち
- 環状4号線(泉区和泉町) - 通称、産業道路
- 神奈川県道451号藤沢大和自転車道線 - 自転車歩行者専用道路 通称、境川サイクリングロード
- 神奈川県道22号横浜伊勢原線(高鎌橋交差点 藤沢市高倉) - 高倉バイパス
- 国道467号(長後小学校入口交差点 藤沢市長後) - 終点 通称、藤沢街道・町田線
参考文献
脚注
関連項目
テンプレート:Asbox- ↑ その後、神奈川中央交通の前身の1つの鶴屋自動車会社に吸収合併。
- ↑ 平成18年度道路局予算案記者会見資料 「〈参考〉街道名とその由来について」 - 横浜市道路局 2006年1月27日
- ↑ 記録映像として残されており、DVD「映像の世紀 第11集 JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和」(制作:NHK・ABC 発売:NHKエンタープライズ)等で、通過・休憩の模様の一部を見ることができる。