キッチュ
テンプレート:百科事典的でない テンプレート:出典の明記 キッチュ (テンプレート:Lang-de) とは、「けばけばしさ」「古臭さ」「安っぽさ」[1]を積極的に利用し評価する美意識である。
元はドイツ語だが、英語でも同じ綴りで浸透している。
グリーンバーグのキッチュ
「キッチュ」が美術用語として規定されたのは、クレメント・グリーンバーグの1939年の論文「アヴァンギャルドとキッチュ (テンプレート:En)」による。
彼は芸術が、アヴァンギャルド(前衛)とキッチュ(後衛)に二分化しているとした。文化の推進者たるアヴァンギャルドに対し、キッチュは見せかけにすぎないと酷評した。
しかし、20世紀より、大衆文化の評価が高まるにつれ、グリーンバーグのような二元論に対する批判も多く現れている。
キッチュの再評価
キッチュは、芸術作品や、複製技術の発達した近代・現代の、大量生産された工芸品などに見いだせることがある(いわゆる芸術作品に対してのみ使われる言葉ではないことに注意)。
芸術の中では、サルバドール・ダリのいくつかの作品をキッチュと呼べる。VOW やその類似の企画でもキッチュと呼べるものが紹介されていることがある。
キッチュの定義として「陳腐である」という表現もされるが、この点については注意する必要がある。単に陳腐なだけでは、それをあえてキッチュと呼ぶ必然性はないからである。あまりにも陳腐であるがゆえに、周囲の注目を集め、独特の存在感を呈するもののみがキッチュたりうる。
キッチュとは、「見る者」が見たこともない異様なものか、「意外な組み合わせ」「ありえない組み合わせ」であろう。もしくは、「見る者」にとって異文化に属するものであったり、時代を隔てたりしている必要がある。「見る者」の日常性に近すぎると、新鮮味のない、陳腐な存在でしかなく、そもそも注意を引くこともない。キッチュの観点から言えば、「普通」であることは、キッチュとしての美的価値が不足していることを意味する。また、キッチュは、時間的な隔たりという点では、レトロ、懐古趣味と関連していることがある。
また、キッチュは、世界各地の伝統的・近代的な民芸品、人形、仮面、像、図像、幼児の玩具などに見られる。たとえば、マトリョーシカ、祭りの出店の面、庭に置かれるノーム(こびと)の人形、多神教の図像などである。赤、緑、青、黄、ピンク、金、銀などのどぎつい色が特徴となる場合もある。
動物同士、動物と人間の組み合わせ、「怪物」がキッチュを呈することもある。これは本来「ありえない組み合わせ」だからである。ただ、キマイラ、ケンタウロス、ミノタウロス、人魚など、神話上の怪物の図像はよく知られているため、意外さを感じさせない。キッチュが見られるとしたら、(特に異国の)古代や中世の図版に現れる、名もなき怪物などである。
キッチュは、単にグロテスク、もしくは不細工なだけでは成立しない。ヒエロニムス・ボッシュの絵画や東アジアの地獄絵のように、過剰な表現、意外な組み合わせから一種の滑稽さが現れることがあるが、それは必ずしも制作者の意図とはかぎらない。むしろ、制作者の意図は真剣そのものであり、キッチュとみなされるのが不本意かもしれない。だが、キッチュは最終的には「見る者」が感じる美的価値である。つまり、キッチュは表現者による、意図的・積極的な表現手法であることもあるが、「意図しないキッチュ」「見方としてのキッチュ」もある。