五井藩
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テンプレート:出典の明記 五井藩(ごいはん)は、上総国市原郡五井(現在の千葉県市原市五井)の五井陣屋に藩庁を置いた藩。江戸時代後期、伊勢西条藩有馬家(1万石)が藩庁を五井に移すことで成立し、5代約60年間存続した。
藩史
藩主有馬家(摂津有馬氏)は、筑後久留米藩主家の分家であり、久留米藩初代藩主有馬豊氏の三男有馬頼次を祖とする。頼次の子孫は紀州徳川家に代々仕え、徳川吉宗の時に側近を務めた有馬氏倫が大名に取り立てられ、伊勢西条藩初代藩主となった。西条藩(南林崎藩とも称する)は、伊勢国・上総国・下野国にまたがって1万石を領する定府の大名であった。
天明元年(1781年)11月28日、西条藩第5代藩主有馬氏恕は上総国市原郡五井に本拠を移し、有馬家は五井藩となった。有馬家は定府が解かれて参勤交代が命じられ、翌天明2年(1782年)2月には初めての藩主領国入りが行われている。しかし間もなく、氏恕は天明3年(1783年)、23歳の若さで死去した。
氏恕の跡は末期養子の有馬氏保(越後長岡藩主牧野忠寛の次男)が継いだが、氏保は寛政2年(1790年)に29歳で早世した。嗣子はなく、有馬久保(伊勢八田藩主加納久周の次男)が娘婿として迎えられる形で跡を継いだ。久保以後は嫡男への家督相続が行われるが、幼少で短命の藩主が続く。
第5代藩主有馬氏郁の代、天保13年(1842年)4月17日、下野吹上藩に転封となったため、五井藩は廃藩となった。
現在、五井陣屋跡には、JR内房線・小湊鐵道線五井駅が建てられている。
歴代藩主
- 有馬家
譜代 1万石
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第四百七十