網引駅
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網引駅(あびきえき)は、兵庫県加西市網引町字堂の前に所在する北条鉄道北条線の駅。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側に置かれている。現駅舎は2013年(平成25年)2月19日に再建されたものである。道路からの段差は無い。
便所を覆うようにしてイチョウの大木があり、加西市の「ふるさとの樹」に指定されていることを示す札が掲げられている。また、駅の北側、田原方に「列車転覆事故殉難の地」碑が建立されている(事故については歴史の節に詳述)。駅の田原方には網引第4踏切があり、駅の南側に抜けることも可能である。
旧駅舎は1984年6月放火により消失したが、前記の通り、2013年2月19日に再建された[1]。新駅舎内ではボランティア駅長による「切り絵教室」や「鉄道グッズ」の販売、地域住民との交流を広げる憩いの場として活用されている。それと同時に駅周辺はサイクリング中間点休憩所として、最新式多目的トイレ、駐車場、駐輪場、花壇が整備されている[2]。
ダイヤ
日中時間帯は毎時1本の1日17本である(2013年3月16日現在)[3]。
駅周辺
- 加古川の支流である下里川と万願寺川が、駅南方で合流する。
- 加西南産業団地の最寄り駅。
歴史
- 1915年(大正4年)3月3日 - 播州鉄道 粟生駅 - 北条駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1923年(大正12年)12月21日 - 播丹鉄道の駅となる。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
- 1945年(昭和20年)3月31日 - 当駅北西の鶉野飛行場で試験飛行をしていた日本海軍の戦闘機「紫電改」が法華口駅との間の線路をかすめて不時着。そのため線路がゆがみ、直後に通過した上り列車が転覆。死者11人、負傷者104人の大惨事となった[4]。北条線列車脱線転覆事故を参照。
- 1962年(昭和37年)3月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1984年(昭和59年)6月 - 放火により駅舎を焼失。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 北条鉄道の駅となる。
- 2003年(平成15年)8月8日 - 「列車転覆事故殉難の地」と書いた慰霊看板を駅に設置[5]。
- 2013年(平成25年)2月19日 - 1984年6月の放火により焼失した駅舎を再建。
隣の駅
起点の隣駅「粟生駅」とは3.5kmあり、北条線で最も駅間が長い。