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橘 道貞(たちばな の みちさだ、生年不詳 - 長和5年4月16日(1016年5月24日))は、平安時代中期の官僚。橘仲任の子。官位は正四位下・陸奥守。
和泉守、陸奥守などを歴任した地方官僚でいわゆる受領階級に属する。他に京官として太皇太后宮権大進を務めた。藤原道長の側近で、兄とともに「道」の字を与えられたという。長保5年(1016年)朝卒去[1]。享年不明。
系譜
登場する文芸作品
脚注
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- ↑ 『御堂関白記』、『左経記』長保5年4月16日条など