越智通雄

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テンプレート:政治家 越智 通雄(おち みちお、1929年4月23日 - )は、日本大蔵官僚政治家

衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会 会長。

来歴・人物

東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎大島通義岡野行秀三浦公亮など。

旧制一高を経て、東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。

1972年第33回衆議院議員総選挙賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎加藤紘一山崎拓石原慎太郎三塚博村岡兼造保岡興治瓦力野田毅深谷隆司など)。自民党では福田→安倍→三塚→森派に所属した。

選挙ポスターは、名前を仮名で書くと回文になることを意識したものになっていた。選挙の際、上から読んでも、「おちみちお」、下から読んでも、「おちみちお」、中に「み」のあるおちみちおです、と選挙カーで連呼していた。中選挙区時代の選挙区は(世田谷区目黒区の)東京3区小坂徳三郎小杉隆栗本慎一郎などと争っていた。

1996年以降は小選挙区制の実施に伴い東京6区を地盤としたが、選挙区当選はなく1996年の第41回衆議院議員総選挙で比例復活したのみである。

履歴

発言

金融再生委員会委員長在任中の2000年2月19日栃木県金融機関関係者への講演で、「検査の仕方がきついとかあったら、どんどん直接おっしゃってください。最大限考慮しますから」と発言。「手心発言」として論議を呼び、委員長辞任につながった[1]。その後、2000年6月の総選挙で落選した。

家族・親族

関連項目

外部リンク

脚注

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テンプレート:S-par |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
松永光 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院予算委員長
1998年 |style="width:30%"|次代:
中山正暉 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
池田行彦 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院大蔵委員長
1987年 - 1988年 |style="width:30%"|次代:
中村正三郎 テンプレート:S-off |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
柳沢伯夫 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 金融再生委員会委員長
第2代:1999年 - 2000年 |style="width:30%"|次代:
谷垣禎一 |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
相澤英之
愛野興一郎 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 経済企画庁長官
第44代:1990年 - 1991年
第41代:1989年 |style="width:30%"|次代:
野田毅
高原須美子

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テンプレート:経済財政政策担当大臣 テンプレート:金融再生委員会委員長 テンプレート:衆議院大蔵委員長

テンプレート:衆議院予算委員長
  1. 辞任、更迭…志半ばで大臣の座を去った政治家たち