三好三人衆
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三好三人衆(みよしさんにんしゅう)は、戦国時代に三好長慶の死後に三好政権を支えて畿内で活動した三好長逸・三好政康・岩成友通の3人を指す。いずれも三好氏の一族・重臣であったためこの名で呼ばれた。
概要
三好長慶の時代は、それぞれが軍を率い一族の重鎮として活動していた。永禄7年(1564年)の三好長慶の死後、甥で後継者の三好義継は幼く、長慶の弟達も死去していたため、義継の後見役としてこの3名が台頭し、三好氏の重臣として同じく権勢を振るっていた松永久秀と共に、永禄8年(1565年)の室町幕府13代将軍足利義輝の暗殺(永禄の変)に関わるなどした。
後に篠原長房・三好康長や筒井順慶と組んで義継や久秀と対立、これは三好・松永政権の混乱の一因となり、足利義昭を擁立する尾張の織田信長を利する結果となる。
永禄11年(1568年)、信長の上洛に反発し抵抗するも相次いで敗退し、三人衆の勢力は衰える。元亀年間には友通が戦死し、他の2人も消息不明の状態となり、畿内における三好氏の勢力の衰退と前後して三人衆としての活動は完全に途絶えた。政康は後に豊臣氏の家臣として復帰して大坂の陣に参加、戦死したとする説がある。